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つくって食べよう!

配偶者が先立つと、日常の食事が大きく変わる。女性は料理の頻度が減り、栄養バランスが乱れる傾向がある。これは、調理の意欲が相手のいないことで低下するためとされる。男性の場合は特に、栄養不足や食習慣が不規則になりがちだ。その結果、病気や持病の悪化につながることもある。

 私の父は伝統的な昭和男子で、母に家事を任せて、自分では電子レンジすら使ったことがないほどだった。その父がこの冬、突然一人になった。60年来の連れ合いを亡くし、父は深い悲しみと同時に、身の回りのことをどうしていいかわからず途方に暮れた様子だった。その父の側にいて、これまで講演などで話してきた「転機を超えて人生は豊かになる」ということの大変さが身にしみた。

そんな時、母のいない台所の片隅に小さな黒い鍋を見つけた。フランス製の無水調理ができる鉄鍋である。母がよく使っていたこの鍋で、父と一緒に野菜の蒸し焼きを作ることにした。オリーブオイルを垂らした鍋に、玉ねぎ、じゃがいも、キャベツなど冷蔵庫にある野菜を適当に放り込んで、塩胡椒を振って蓋をして数分間煮込むだけである。野菜から出る水分だけで柔らかく蒸し上がり、トロッとした食感がビールにもよく合う。豚肉を入れたりして具材を変えると、毎日でも飽きずに食べられる。食べきれずに残っても、翌日温めなおすと味が染み込んでさらに美味しくなっている。

 高齢者の健康増進の取り組みの一環として、私は「シェアダイニング」という食事を作る楽しさを分かち合う活動を行なっている。その場では、「料理」よりも「自炊」をすすめている。料理は美味しさが目標になるのに対し、自炊はつくって食べる暮らし方こそが大切になる。出来上がりの良し悪しは関係なく、⾷べたいものを⾃分でつくれることが自炊の本質だ。それが⾃信と安⼼感の源になり、人を健康的にする。

 料理を知らない父が、84歳で挑戦する初めての自炊である。1回目は大成功だったが、この先どうなるか。離れて暮らす父を心配していた頃に、残った蒸し野菜のスープに蕎麦を和えた写真が送られてきた。台所に立つ機会も増えたようだ。自炊から始まる新しい日常への一歩を、小さな鍋が後押ししてくれると信じたい。

(京都新聞 2024年3月15日朝刊 随想やましろ 寄稿文)



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