見出し画像

阿波正藍の旅

現地生地探しの旅レポート
今回の旅は、徳島県に行って参りました。
目的は阿波藍と阿波しじら織りです。
日本一の藍を求めに行きました。


僕は埼玉県の本庄市という所にいて、埼玉の武州藍染での商品展開も行ってきました。
隣町の深谷市は渋澤栄一の産まれ故郷であり、藍玉づくりを行っていた場所です。
渋澤栄一の藍玉づくり時代に「阿波の藍に負けない藍にしよう」と考えていた理由を探りたかったのです。


大正元年創業、徳島県認定の阿波正藍染法保持者
経済産業大臣指定伝統工芸品「阿波正藍・しじら織」伝統工芸士認定。

織工房・藍布屋(らんぷや)
株式会社岡本織布工場さんに伺いました。

代表取締役の岡本さんにお出迎えいただき、藍やしじらのお話を聞かせて頂いたり、織り染め工場を見学させて頂きました。

画像1


阿波正藍は、
1445年に藍の積み出し記録が残されていることから、室町時代に阿波藍は製造され流通していたと考えられます。
江戸時代から明治にかけて増加し、明治36年に最高の生産規模になり、作付面積、生産量とも全国の過半数を占めていました。

○分かりやすく言うと藍染めをする為の原料”すくも”を生産して全国の藍染め屋さんに”すくも”を販売するという事です。

画像3

今回の目的でもある、阿波正藍の品質の良い藍を育てるためのヒントはお話を聞いていく中にありました。

それは、吉野川の氾濫です。

徳島県は東西に吉野川が流れ、その流域で藍を栽培していました。
東西に流れる吉野川は、台風が来るたびに氾濫を繰り返す暴れ川でした。
その氾濫によって、有用な微生物や栄養、ミネラルなど肥沃な土が運ばれ、地域一帯の畑を豊かで新しい土に更新されました。

藍の栽培は肥料喰いとも呼ばれるほど肥料が必要で、同じ土地で続けて植えることの難しい藍の連作を可能にしました。


吉野川流域にもたらされる危険が伴う洪水。
その伏流水の恵みが藍の美しさを生み、日本の藍となった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?