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再掲:巨大なパーティー:ウエストバム自伝とHave a Nice Day!『The Manual』


KKV MAGAZINE 2017年3月22日公開の記事の再掲載です。

踊ることは僕に音楽を別の次元で感じることを教えてくれた。
ほとんど奇跡としか思えない体験の数々をもたらしてくれたのはパーティーだった。
もう毎週パーティーに行くことはなくなってしまったけれどあのダンスする感覚はまだ忘れることができない。
そして、気が付けばはじめてパーティーに飛び込んだ95年の熱い夏からもう20年以上が過ぎた。
そろそろあの現象がなんだったのか振り返ってもいい時期だ、と思っていたところに『夜の力 -ウエストバム自伝-』が出版された。

この自伝は80年代末の混沌とした状況、その中からなにももたない若者がダンス・ミュージックとパーティーに没頭することでひとつのムーブメントを作り上げた実録として無類の面白さに溢れている。

パンクが生み出したD.I.Yとニューウェーブが作ろうとした電子楽器による新しいサウンド、80年代に10代を過ごしたウエストバムはイギリスやアメリカの音楽にあこがれた少年だった。彼の置かれた状況は音楽の中心地から離れた日本にいる僕らともいろんな部分で共通する。前半に語られる様々な試行錯誤は同世代である40から50歳前後の音楽好きには思い当たることがたくさんあるだろう、石野卓球とのながく続いている友情もそこに起因しているのではないだろうか。

でも89年のベルリンの壁崩壊以降、様相は一変する。続く90年代、国中の若者を巻き込んだレイヴとパーティーの熱狂は日本では起こることはなかったからだ。いや、正確にはドイツやイギリスのような規模にならなかったというべきなんだろう。
日本でも90年代に規模こそ大きくはないが、本書に描かれているようにワイルドでクレイジーなパーティーはいくつか存在した。そこに集まった人々は日常生活では知り合う機会もないであろう多種多様な人々、たったひとつの共通点、ただパーティーで踊りたいということだけで週末ごとに顔を合わせ、同じ楽しみを知っていることで繋がっているという実感があった。そこにいたのはほんとにユニークなやつばかりだった。

エクスタシーとアシッド、音楽に集中して無心に踊ることがどれだけ自分自身を解放してくれたことか。
日々の仕事、将来への不安や思うようにならない日常、すべてを置き去りにして週末のパーティーで踊ることだけを考えれば大丈夫だった。
あんなになにも考えずにパーティーだけを追いかけた日々こそ、オーディエンスひとりひとりの心の中に起きた小さな革命だった。
音楽に合わせてステップを踏み、自分で手足をコントロールして夢中でダンスをする、まるで枷をはめられ鎖で繋がれた手足が解かれて、どんどん自由になり解放されていくような感じだ。
この大きな開放感は想像を超えていたし、どれだけ自分が縛られていたかもよくわかった。
そこからは多くの日本人がゴアへ、イビサへ、ロンドンへ、ニューヨークへ、そしてベルリンのラブ・パレードやメイデイに行った。

ウエストバムの語り口は飾らず正直だ、彼の素直なパーソナリティーがストレートに伝わって来る。
個人的な本書の白眉は2回目のラブ・パレードの部分と1回目のメイデイでウエストバムのライバルであるスヴェン・フェイト(ヴァス)がパーティーのエンディングをトランスで支配するシーンだった、僕はトランス側のオーディンスだったからその情景が本当に想像できる。スヴェンとマルク・スプーンがプレイした「エイジ・オブ・ラブ」は僕自身も数多くのフロアや海や山で踊った思い出の曲だ。
もちろんウエストバムの「ウィザード・オブ・ソニック」も数え切れないぐらい聴いた。
本書を読んでパーティーに没頭した時代を思い出し、ずいぶん遠くにきてしまったが、今また自分が忘れていた自由をもういちど取り戻すことができるような気がする。それはまた別の形かもしれないけれど、あの自由こそ決して忘れることのできない強烈な体験だった。
気がつけばレイヴ・カルチャーもまもなく誕生から30年をむかえようとしている、もうあの時代も歴史として語られていいものとなったということなんだろう。
この当事者による第1級の証言は、音楽が時代を作りなにかを動かした過去に憧れる若者にとっては夢物語のような話かもしれない。けれど、同時代をパーティーに没頭して生きたものにとってはまちがいなく真実だし、いま一度あの素晴らしい記憶を思い出させてくれるはずだ。

この本を読み、僕は当時を振り返りながら、日本で今を生き、音楽を求める人たちはどこに行けばいいんだろうと考えた。
僕が見てきた日本のダンス・シーンはヨーロッパのように大きな波になることができなかった、そしていくつもの素晴らしいパーティーが数年の周期で盛り上がっては沈んでいくのを数多く目にしてきた。
もちろんいまでも信頼できるDJはいるし、小さいけど良質なパーティーはあるだろう。しかし、あの90年代のような、ほとんど混沌と言っていいほどの熱気はない。いちど確立したスタイルは同じままで続けることはできない、そう思っていたところに出会ったのがHave a Nice Day!だった。

彼らはライブハウスでロックバンドに混じりながらダンス・ビートを叩き出していた。フロアはモッシュとダイヴ、まさに混沌としかいいようのない空間には様々なスタイルのオーディエンスが混在していた。彼らが演奏しているのはまぎれもなくダンス・ミュージックだが、クラブでの機能に特化した最新のデジタルなサウンドではなく、むしろパーティーを知らないが故のアナログで不器用なビートだった。
しかしそこにあったのはまさに僕が体験してきたあの熱気だった。

時として音楽は思いもよらぬかたちで姿を変えてよみがえることがある。いや、むしろその繰り返しと言っていい。50年代のプレスリーがティーンネイジャーを躍らせ、60年代のビートルズがそれをさらに加速させ、70年代にはクラッシュが親の世代とはちがうポゴ・ダンスを踊らせ、80年代にアシッド・ハウスからダンス・ミュージックの進化がはじまった、どの時代も音楽のスタイルは変化しているけれど踊りに集まるオーディエンスが求めたものは同じだと思う。

Have a Nice Day!のライブを見て僕が感じたのは、かつてパーティー・シーンが持っていたエネルギーだった。もちろんその場所には僕が見てきたパーティーやレイブを知るものはひとりもいないだろう。そして音楽のスタイルは違うけれど、それははまぎれもなく僕がパーティーで体験してきた感覚があった。彼らのライブで聴く「Forever Young」は89年の「Elephant Stone」や96年の「Born Slippy」と同じ意味を持って響いてくる。去年の秋にリリースされた彼らのアルバム『The Manual (How to Sell My Shit)』を聴けばわかるように、彼らにとってはヒップホップもテクノもハウスもダンス・ビートはツールであり手段でしかない。サウンドのスタイルは問題ではなく、彼らがオーディエンスと共に生み出そうとしているものが問題なのだ、それは僕がかつて見てきた、そして追い求めたものととてもよく似ている。

まもなく発売となる彼らのシングルに『巨大なパーティー』という曲が収録されている。この曲に込められた思いはとてもシンプルな決意表明だ。みんなパーティーを必要としている、しかしそれを創るのは簡単ではないしほんとうに必要な時にできるとはかぎらない、けれどやろうと思わなければけっして実現することはない。
いまの日本でウエストバムがやってきたパーティー『メイデイ』のようなことが実現はしないだろう、それでもHave a Nice Day!は最高のパーティーを夢見て前進する。まさに今の彼らを象徴しているような曲だ。
『巨大なパーティー』で歌われているのは負けてしまう予感と少しづつ感じる失望かもしれない、けれどもしたどりつけたのなら、その先にはオーディエンスのひとりひとりの心の中に小さな革命を起こすだろう。ポップ・ミュージックが生まれてから60年、いつの時代でもダンスは自由と解放の鍵だった。Have a Nice Day!がその鍵となる日が来るかもしれない。

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