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風化させたくない理由とは

究極の希望を唱えるなら、震災の前の日常に時間を戻す事だと思う。何もかもがあの頃に戻ること。それが100%できないから苦しいのでないのだろうか。不可能だと知る事こそが最も苦痛なのだ。
僕は捻くれ者だから、皆には受け入れられないかもしれないが、なぜ忘れてはいけないのか、整理すべきだと思う。これだけ情報が目に入る時代、忘れることの方が難しいかもしれない。

時間を前に進めるためには、これからの生きる意味を各々が明確に持つべきだと思う。
震災は止まらない。僕らが生きてるその場所こそがそういうところなのだから。地球が生きている事を忘れることの方が危険だ。
それでも尚共存を望むなら、争いを無くし、恩恵を敬い、生死を明確に意識することではないのだろうか。
志半ばで亡くなった方々の悔いの念を思い、我々がただ生きる事のないように。

誰かの身代わりになって亡くなった方もいれば、津波を甘くみてのまれてしまった方もいる。そこに死の差別を作るかどうかでさえ、捉え方は変わってくる。
ただ漠然と、忘れない、風化させてはいけないと意識する事に一抹の疑念を抱いてしまう事は、僕はそんなに間違えた事だとは思っていない。

敢えて言うなれば、生きるためにはどうするべきなのかということを、瞬間的にイメージできる教育が必要だと思う。

経験したからわかる。
迷ってる暇などない事を。
選択肢だけで、答えが決まるのだ。

厳しいことかもしれないが、たまたま今生きている僕の素直な答えだ。

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