2022.3/7

先日テレビ取材で「文化財を守る事の意味」を問われた時、私はそれを言語化する術を未だ持たない事に気づきました。

自分にとって文化を追求していくこの活動は、謂わば終わりの無い旅であり、憧れ続ける郷里の景色であるのです。
守っているという認識より、「忘れられないでいる」という方が近くすらあるかもしれません。
その時の私は「その答えを探す為に、やらずにはいられない衝動のまま進んでいく」ようなことを返したと思います。

この命の俯瞰した先に言葉があるので、実体を持って生きているうちは、納得いく言葉を更新し続けるでしょう。

それでも、山梨で活動を始めたばかりの頃に印象に残った言葉があります。
「形に見えるものが全て失われた時、最後に心の拠り所となるのは”文化”である」
建物もなにもかも失った空き地で、それでもそこに覚えている人さえ居れば、獅子が舞うと。

亡くなった祖先の魂は山に還り、子孫を見守るといいます。
この場合、その”文化”を守ることは、いずれ我々の帰る場所を守ることになるのではないでしょうか。

この見えない帰り道を、文化とも呼ぶのかもしれません。

私が絵本「蒼い夜の狼たち」で伝えたかったひとつも、遠吠えを聴くことがあなたの、誰かの帰り道を照らすことに繋がることを、覚えていてほしいというものでした。
それはあなたがいつか、心を寄せた物語に繋がる道かもしれません。

物語を語ることは、その世界や自分を供養する為でもあると思っています。
だからこそ漢文の先生にかつて言われた「文学は祈りから生まれた」という言葉を、今でも思い出すのでしょう。
小袖のおばあさんは、「毎日あなたのことを祈って眠ります」と言ってくれていました。
この祈りを忘れず、繋いでいくこと以外に報いる方法があるでしょうか。
遠吠えはまだ聞こえています。

心で触れてきた景色の全部が、いつか全て帰り道に繋がるまで。

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