ぼくの存在

人は、何故生まれてくるのだろうか。
人は、何故生きようとするのだろうか。

僕には、僕の生きている理由が見つけられない。死ぬのが怖いから生きている。でも、それは僕の求めている生きる理由にはなり得ない。
多分、僕は今の生活を楽しいと思っている。でも、辛いこともたくさんある。疲れること、しんどいこと、やりたくないこと、たくさんある。それらが集中して襲いかかってくると、本当に生きている意味がわからなくなる。でも、どれだけしんどくて苦しくても、死ぬのが怖いから嫌でも生きなきゃいけない。

これから先、僕はどうなっていくのか。「どうなりたい」がないせいで、全くビジョンが浮かばない。未来の僕がどうなってるのか、本当に想像がつかない。未来に対する漠然とした不安をずっと持ち続けている。今はなんとなくで生きているけれど、いつか本当に全部どうでもよくなるくらいしんどくなるかもしれない。そうならないために、なりたい自分を見つけたい。何かになりたい。僕を僕たらしめる何かが欲しい。

僕は、それが勉強であろうが、スポーツであろうが、或いはとても専門的なものや、娯楽でもいい。とにかく何かに全力で向き合える人間をとても格好良いと思っていて、とても羨ましく思っている。僕は今までの人生では多少適正のあった勉強を適当にこなしていたが、結局最後まで本気になれず、中途半端な結果に終わってしまった。いや、学問に終わりなどないのだから「終わってしまった」という言い方は不適切であったかもしれない。僕の中で一区切りがついた、ぐらいにしておく。恐らくもっと本気で頑張ることができたらまた違う人生を歩んでいたのだと思う。自身のポテンシャルは自分が一番よく理解しているつもりだし、勿体ないと自分でも思っていた。そう何度も何度も自分に言い聞かせて頑張ろうとしたけれど、最後まで僕が本気になれる日は来なかった。学問の中に興味のある分野はあるし、楽しいと思う瞬間が一時たりともなかったかと問われれば別にそんなことはない。友人らと切磋琢磨し、皆で同じ方向を向いて頑張るという雰囲気も嫌いではなかった。それでも最後まで頑張れなかったのは、結局集団の中で僕ぐらいだったのではないだろうか。全く甲斐性のない人間であると、つくづく実感した受験生時代であった。

果たして僕は、これから先の人生で本気で打ち込みたいと思える何かを見つけられるのだろうか。
果たして僕は、人生が終わる時に何かを成し遂げたと、胸を張って言えているのだろうか。
今は全くそのようになれる気がしていない。何してたのかよくわからない人生だったと、悔いもなければ充足感もない、くだらない最期を迎えてしまうような気がしている。だが、そのような結末は嫌だと一丁前に思っている自分もいる。何も持っていないくせにそういう気持ちだけは持っている。傲慢な人間である。

僕は自分を自分たらしめるものを探しているので、僕が見つけなければいけないものは「僕がこの世で最も秀でた才を持つ何か」か、「僕にしかできない、唯一性・独自性のある何か」であると考えている。冷静に考えれば、このような何かを見つけて最期を迎えられる人間などよっぽど少数派であると思われるのだが、これはもう僕の拘りなのでその程度の理由で諦めることはできない。今までなんのために生きていたのかずっとわからないままだったし、今も何故生きているのかわからない僕だけれど、死ぬ時にはどうか僕が生きていた理由を見つけ、存在証明を果たせていることを切に願う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?