「国家はなぜ衰退するのか」第7章 その2
転換点
<この章のお題>
1688年の政治革命はイングランドの政治制度をいかに変え、産業革命に結びついたのか。
<この章の副題、まとめ、気になった箇所>
靴下をめぐる問題:
1589年、リーが靴下編み機を発明したが、エリザベス一世は特許申請を却下。(民衆が富や技術や知識を得ると)王の権力が脅かされるため、創造的破壊を受け入れられないエリートの典型的な対応。しかしこの後、イングランドは経済発展を経験する。
やむことのない政争:
1215年 マグナ・カルタで「王もまた法に従う」とされた。
-1381年 ワット・タイラーの乱は、君主と政治エリートに要求する力を持つグループの発生を意味する。
-1485年 ヘンリー7世による政治的中央集権化、官僚制度の導入。
-1621年 専売品は700項目。専売事業は生産の独占権が個人やグループに配分された。
-1642年 清教徒革命
名誉革命:
1688年名誉革命、1689年「権利の章典」発布。「王は君臨すれども統治せず」。議員自身が貿易や工業に投資していたので、所有権の保護が行われた。政治任命官よりも才覚ある人材が国を運営する、中央集権国家に。
産業革命:
所有権が、輸送革命の原動力に。輸送コストの削減のためのイノベーションも促進された。その他、冶金、蒸気動力、繊維生産の機械化など。新参者も市場に参加できる法の整備。都市にて権力に対する暴動の組織も可能に。
なぜイングラドで?:
包括的経済制度、ジェームズ・ワットなど才能ある一般人が機会とインセンティブを与えられた。特許権、所有権が保証されていた。議会の力が王室(テューダー朝、ステュアート朝)の力を上回っていた。偶然と幅広い連合が、多元主義と包括的制度の誕生を促す決定的要因。
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