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「国家はなぜ衰退するのか」第9章

後退する発展


<この章のお題>

ヨーロッパの植民地主義は、いかにして世界の多くの地域を貧困に陥れたか。

<この章の副題、まとめ、気になった箇所>

スパイスと大殺戮:1600年代、現在のインドネシアの島々の民族は、オランダ人が村ごと殺戮、占領。オランダ人が求めていたものはスパイスとその栽培地。18世紀までには、東南アジアのほぼ全域が欧州の植民地に。

あまりにもありふれた制度:1700-1850年の奴隷貿易の結果、約800万人が奴隷としてアフリカから輸出された。アフリカでは、地域によっては人口が丸ごと流出、工業化の機会を失う。銃の発達と同時進行。イギリスを含む欧州の植民地産業を支える。プランテーション、鉱山労働など。

二重経済をつくる:南アフリカのグレート・カイ川沿いの東には豊かなナタール州、西には貧しいトランスケイ州がある。風景も経済活動も異なる。トランスケイ州では、土地は共同財産、部族長あり。ナタール州の白人にとって、安い労働力の溜め池がトランスケイ州。南アフリカとボツワナは、奴隷貿易の悪影響をあまり受けなかった国。南アフリカでは1880年以降のボーア戦争後、黒人にとってのビジネスチャンス到来。農耕の効率を上げるインセンティブが働いた。しかし1913年の先住民土地法で、アフリカ人の土地が強奪され、狭い土地に押し込められた事が地域の貧困の原因に。アパルトヘイト体制の道筋ができた。アフリカ人の教育の機会も妨害された。南アフリカの二重経済は、アフリカ人の組織的抗議行動により、1994年に終わる。

発展の後退:第9章のまとめ。今日の世界の不平等の原因は、19世紀以降、産業革命とテクノロジーの発展の成果を、包括的経済・政治制度によって取り入れることができた国とそうでない国の差。被植民地では、富が大陸帝国に吸い上げられた。奴隷制度は大西洋と、アフリカの2箇所で行われ、奴隷の子孫たちは、安価な労働力の「溜め池」に押し込められた。南アフリカは人口の80%を熟練業務、商業的農業、起業的活動から排除。経済発展が国内や他国の後進性を食い物にした。

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