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「国家はなぜ衰退するのか」第7章 その1

第7章 に入る前に


第10章「世界の不平等の根源」に第7章、第8章、第9章の要約がある。


・産業革命を可能とした包括的な政治・経済制度はいかにしてイングランドに現れたのか。それは、議会において、実業家も力を持ったから。

・一部の国が産業革命の恩恵を享受し、成長への道を歩み始める一方、他の国はそうしなかった。なぜか。国の制度のあり方が理由。

・イングランドとその植民地の一部(合衆国、オーストラリア、NZ)では、テクノロジー、イノヴェーション、創造的破壊が抑圧されずに済んだので、工業化が進んだ。そもそも収奪する先住民も資源も不足していた。

・しかし、ヨーロッパ諸国の他の植民地の大部分では、そうならなかったどころか、正反対の貧困の道を歩んだ。

・ヨーロッパの入植者は、スパイス、砂糖、金銀鉱物資源を収奪するために、収奪的制度を押し付けた。ヨーロッパの中でも、大半の国では絶対主義政権に支配され君主や貴族が統治。

・とはいえ、イギリスの制度と産業革命は課題も生み出した。

・東欧、オスマン帝国、中国は同時代にテクノロジーを排除して、絶対王政の維持を図った。

・フランス革命後のフランスでは工業化と経済成長が見られた。ベルギー、オランダ、スイス、ドイツの一部、イタリアでも工業化。

・東欧では逆に、封建制が一層強固に(オーストリア・ハンガリー帝国、プロイセン、オスマン帝国)

・中国でも、絶対主義が復活。東欧に似ている。

・日本は西欧化。フランスのように革命が体制を変えた。幕府に背いた薩摩、長州、土佐、安芸などの藩主が革命を先導。

・エチオピアでは絶対主義が復活、他のアフリカでは奴隷貿易を通じて収奪的な制度が蔓延、社会を破壊。

・各国の制度の違いが、貧富の差を生んだ。

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