嫌な気持ちに順位などない。

子どもの頃からまぁまぁ色々ある人生だった。

親は私を可愛がってはくれていたけど、振り回されていたのも確か。
父親も母親も、今となっては私も助けてもらったし感謝もしてるけど、大人になるまでの家での思い出なんて楽しいことはなかった。

小さい頃はとにかく期待を裏切られ続けていたので、気持ちを落ち着かせるために自然に発想の転換をすることが身についていった。

期待していたこと。

例えば父親が「今日は帰るよ」と言っていたのに帰ってこなかった。これは本当にしょっちゅうで。まぁ愛人の所にいたんですけどね。
父親の言葉を信じて楽しみに待っていたのに帰ってこなかった。寂しい。

これをどう発想の転換をするか。

お土産をねだろう。父親は約束を破ったんだから断れないはずだ。楽しみ。
帰ってくる方が珍しかったけど。

父親がこんなんだから母親は荒れる。
お酒を飲まなきゃやっていられないらしく一人っ子の幼い私を置いて近所のスナックによく飲みに行っていた。私はこれが本当に嫌で嫌で。

飲みに行った母親は大体が真夜中に泥酔して帰ってきて、眠ってる私を(実際は寝てる振りをしていた)叩き起こして父親の愚痴や、別れたらどっちについてくるとかそんな事を泣きながら、時には私に対しても怒り叩きながら延々と語る。その間は寝ることは許されない。母親が眠くなるまで付き合わなくてはいけない。明日学校なのに。

この、母親が飲みに行くという私にとっては最悪な現実を、どうにか「好きなテレビが見られる」と無理矢理に発想の転換をして乗り切っていた。

他にも親に期待を裏切られたり振り回されたことはたくさんあって、発想の転換が日常茶飯事になっていた。

そういう癖がついた私は嫌なことが起きるたびに、こんなことくらい大したことない。こんなんで傷つく私は弱い。あの人だってあんなに大変な思いしてるんだから。

などと周りや過去の嫌なできごとと比べたりして、私は幸せな方だと思い込むようにしていた。

でも、「嫌なこと」って比べることではない。嫌なことは嫌。そんなことで?と言われようと、私は嫌な気持ちになったんだ。何が悪い。
自分の気持ちに対して正直になれると少し楽になる。

都合の良いように考えているのかも知れない。でもそれでいいじゃない。
転職も自分に正直になって繰り返した。後悔はしていない。それほど酷い職場環境だったから。

もちろん何でも嫌!と言っているわけではない。やらなきゃいけないこと、周りとの調和もとても大事なこと。折り合いをつけなきゃいけない時もある。
しかし、心が病むほどのことは我慢してはいけない。

これからもきっと色々あると思うけど、疲れやすいこの世の中、少しでも自分に正直に生きていきたい。


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