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「呼ばれたい名前を確認する」

対話ミーティングでは始まる前に「呼ばれたい名前を確認する」と精神科医の森川すいめいさんは書いている。(ナラティブとケア15号p05/遠見書房2024)

こちらが呼びたい名前ではなく、相手が「呼ばれたい名前」。

今放送されている100分で名著のローティを観ていて「名前」について考えてみた。

例えば、極端な例として誰かを呼び捨てにしたとする。

「あきらさん」、ではなく「あきら」と。

この場合大きく二つの事が考えられる。おそらく敵対的な呼び方ともう一つは親近感がある呼び方に分別されるだろう。

忘れてはならないなことは、この感じ方は相手が感じる事だということ。

呼び捨てられたら、よほどの信頼関係を構築していない限り敵対的に感じてしまうことが予想される。

呼び捨てた方が例え親近感をもっていても、お互いに信頼関係があるかどうかは別だ。

そして「あきら」と呼ばれた方は、意識的にも無意識的にも過去の情報の中に自分を呼び捨てにした人を手繰り寄せているかもしれない。

そしていま自分の事を呼び捨てにした人と比べるかもしれない。

信頼性をもって呼び捨てにすることを許している人のリスト(社会)にこの新たなる「呼び捨てにしてくる人」が入るかどうか。そしてその呼び捨てにすることを許している人のリスト(社会)の人たちが自分を呼び捨てにすることを許すかどうか。

呼び捨てにされることで、言葉(名前)によって「虐殺された」ことになってしまう人もいるかもしれない。

これはすべて相手の中で起こってしまうこと。

なので、関係を始めるときや、対話・会話を始めるときはお互いに「呼びたい名前」ではなく「呼ばれたい名前を聞く」というのは有効なのだとおもう。

皆さんはいきなり呼び捨てにされたらどう思いますか?

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