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自粛解除への心配事

宇宙船地球号の乗組員と考えたら、まだまだ家から出られないなど厳しい状況下にいる仲間は世界中にたくさんおられます。

ネットで近くなったメンタルディスタンス

一方では日本はコロナの感染が収束のようにみえ、これから経済活動が再開していくと思います。と同時に「他方」の心配事を感じています。

今、自粛が解除され、経済活動が再開されるにあたって、つながり合っておくことが大切で、折角コロナのお陰で、ネットを介して「つながれる」事を覚えたのに、元に戻ってしまわないかという心配事です。

命とはつながりである

昨年京都フォーラムで、服部英二先生は「皆さん命とはなんですか?」と私たちに問いを立てられ、「命とはつながりである」と声高らかに顕されました。また同時に「自分だけよくなろう、儲けようとしている」人間の内奥にあるものも気づかされました。

自分だけが良ければ、自分の会社だけが儲かれば、自分の業界が活況を取り戻せば、日本だけが、人類だけがと、元の木阿弥にならないか。

「つながり」が「へだたりに」

宇宙船地球号の乗組員と考えたら、まだまだ家から出られないなど厳しい状況下にいる仲間は世界中にいる。日本だけが自粛解除という一方へ向かえば、今までの「つながり」が「へだたり」とならないか。

身近なところでいえば、一寸気になった「違和感」を、そのまま自己内の解釈で収めずに、即時zoomでつながって「お互いの言葉の背景を確認し合い」すれ違いを防いだり、

頼まれ事も、メールなどの文章でなく、ビデオチャットでつながり、思いの背景を確認しあい、「頼む方」「頼まれる方」という関係性を超えることができたり、

また仕事の依頼も、メールなどでの一方通行的なやりとり(あるときは駆け引き)の中で値決めをするのではなく、ビデオチャットでつながり、何に困っておられるのか、何を要望されているのか、その背景を伺うことで、人と人の関係性を感じることができたりと、

コロナ渦中でのリモートワークとzoom等における「ビデオチャット」が従来の、手紙、電話、メールを超えた「人と人のつながり」を感じる事ができているのに、再び「つながらなくなる」ことへの心配をしています。

コロナ渦中の不況時に対する考え方

ところで、今回の「コロナ渦」に、経営のカリスマと呼ばれる京セラ創業者稲盛和夫師の「不況に対する考え方」を掲げて、不況をを乗り切ろう!という経営者さん達がおられます。私もその一人です。

不況は成長のチャンスととらえ
高収益を目指し、全員で営業し、新商品を開発し、原価を徹底的に引き下げ、高い生産性を維持し、良好な人間関係を築くという内容です。

「一方には他方がある」「両極端を合わせ持つ」

しかし、私は経営者のみなさんに一寸違和感を感じていました。否定ではありません。違和感です。

私が稲盛和夫師と同様に尊敬している、ノルウェーの精神科医トム・アンデルセンは、

「一方が優勢なときは、別の面を引き出すことが大事です。一部を助長して他の部分を支配させちゃいけない。両方の声が聞かれるべきで、一方に他方を支配させてはいけない。それらを横並びにさせるんだ。それが僕にとっての平和活動。」と言っています。

稲盛和夫師も「両極端を合わせ持つ」という言葉で説いています。

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そんな中昨年解散した「盛和塾」の機関誌第一号(平成四年今から28年前・インビュアー・作家加藤克美)の「物事を始めるということ」を再読する機会を頂き、改めて受け取り直すことができました。

「物事を始めるということ」・稲盛和夫

◎物事を始めるということは
1.「大変、勢いがいる」ということと、
2.「動機付け」が必要であること。

夜鳴きうどん屋の例をだされ、「見えてくるまで考え抜く」未来語りの大切さを説かれ、

1.京セラを始めたときは「大変不安で必死」であったこと。
2.第二電電は「精神面ではずっと楽であった」ということ。
3.稲盛財団と京都賞も同様に最初からイメージされ、京セラ、第二電電と同時に並行してやりながらも「本当にあれ(稲盛財団と京都賞)はエネルギーを使っていません」と語られています。

大変不安で必死→精神面ではずっと楽→エネルギーを使っていないと、事業が大きくなり多岐にわたるにつれ、仕事量とは反したメンタルの変化を語られています。

みえていないけれどもしなければならない場合は空である

それに対して
4.行革審と盛和塾は「(最初から)イメージがあったわけではない」「未来語りをされていなかった」ことを語られ「みえていないけれどもしなければならない場合は空である。」と説いておられます。

常々、今回のコロナについて、稲盛塾長ならなにを語られるかと思って過ごしてきました。今回機関誌一号を再読させて頂くことで、ひょっとしたら「既成概念にとらわれない」ことかなと受け取り直しました。

「行革審や盛和塾の場合、イメージがあったわけではありません。これは虚心坦懐、無色というか、先入観または既成概念を持たない。そうすれば、歩きながら、やりながら、次から次と鮮烈なイメージが湧いてくるといいますか、そこに集まった人たちの知恵を借りることもできます。既成概念があると邪魔をしますね。見えていないけれどもしなければならない場合は空である。すると人の知恵によって助けられ、文殊の知恵によって助けられ、取捨選択をしていけばいい。それはゴールがなく常に進歩、プロセス自身が進歩ということです。」(季刊[盛和塾]通巻第一号創刊春号・発行盛和塾・発行人鮒子田昭司・編集人矢崎勝彦/1992)

「既成概念にとらわれない」で「良好な人間関係を築く」

利益優先のビジネスの考えを助長して他の部分(メンタル的な人と人のつながり)を支配させてはいけない。両方の声が聞かれるべきで、一方に他方を支配させてはいけない。それらを横並びにさせる。それがコロナを通して私達が行わなければならない目的優先としての平和活動。

祈り

自粛解除になり、ここぞとばかりに再び利益優先のビジネスに走り、折角つながった「命」が断たれることがないように。

このまま日本が軽傷で済んだとしても、宇宙船地球号にはまだまだ厳しい状況におかれている仲間がいることを忘れて、手のひらを返さないように。

自分事ととらえて心配しています。

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