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元オタクが語る『最後の雨が降るとき』2021

作品情報

主演:
曽之橋(ジョアンヌ・ツァン)
傅孟柏(フー・モンボー) 他

原題:『無神之地不下雨』/台湾現代ドラマ(全13集)       ※各集が2部構成
配信メディア:Amazon prime+U-NEXT
キーワード: 精霊信仰+環境問題+恋愛ドラマ

2019年に大ヒットした台湾ドラマ『想見你/時をかける愛』の製作スタッフが次に手がけた作品。
台湾の原住民族の一つであるアミ族が信仰する精霊神話をベースに描かれる、異色の恋愛ドラマだ。
中国大陸からの移民が多く流入するずっと前から、台湾には独自の文化を継承しながら生きる少数民族があり、台湾政府や自治体に正式に認められて、観光資源にもなっている。
そのいくつかある先住民族のうち最大の部族が、本作のモデルとなっているアミ族だ。
1993年エニグマの『Return To Innocence』で世界に知られた『老人飲酒歌』の郭英男他、数々のスポーツ選手や政治家や歌手を輩出している。
そのアミ族の精霊信仰をベースにしているが、このドラマはファンタジーというラベルが似合わない。
神々の表の顔と裏の顔がまるでサスペンスのように絡んで、真相が読めない。
神と人との許されざる恋に涙を誘うという物語なのかと思って観ていたのに。

あらすじ(ネタバレ注意!)

全能の神である創造主は、人類に多くの祝福を与えたが、それに対し人類はどう応えたか。
空気は汚れ、水は濁り、大地はゴミで溢れている。
創造主は、世界に散在する多種多様の神々を、人間世界から原生の地に引き上げさせると決めた。
雨の神に地上最後の雨を降らせ、神々がいなくなり守護を失った人類世界は、そこから終末のときへと向かっていく。
神話という形を取っての環境問題の提議、与えられているということに感謝してちゃんと後世まで残していかなければならない、そんなメッセージが見受けられる。

神話をモチーフにしているだけあって 世界観が美しい

そんな終末の世界を台北で生きる謝天娣が、この物語の中心人物だ。
彼女は幼い頃に親と死に別れ、アミ族で祭司を務める祖母の元で幼少期を過ごすが、その祖母にも捨てられて、その後は叔母に育てられる。
そんな哀しい境遇でも彼女が明るく振る舞えるのは、自分には守護神がついていると信じているから。
幼少期に大病を患ったときから、雨の神が守護神となり、彼女にいつも寄り添ってきた。
けれど天娣には実は、雨の神の姿が見えず声も聞こえず、彼に関するはっきりとした記憶もない。
それでも天娣は守護神の存在を信じており、彼女がこれまでに救われて来た数々の奇跡を周囲に語るが、周囲には迷信深いと笑われるばかり。
そんな天娣を見守り続ける雨の神、その雨の神を心の拠り所とする天娣。
彼らの不思議な関係には、複雑な因果があるのだが。
ある日ひょんなことから天娣は、近い将来自分が交通事故で死ぬということを知ってしまう。
天娣は未来を変えようとするが、創造主の描いた筋書きは変えられないと雨の神は知っている。
地上最後の雨が降りしきる中、筋書き通りに事故現場で倒れた天娣を雨の神は抱き抱え、天に向かい創造主さえも動かす言葉を口にする。

台湾ドラマの雨のシーンはいつも明るく美しい

元オタクが思うこと

私はドラマや映画で泣きたい人なので、悲しいエンディングは基本的に大歓迎だ。
だけどこのドラマは途中から、結末がハッピーエンドであって欲しいと強く願いながら観ていた。
でも終盤の展開はあまりにも意外で絶望的で、この後どうなればハッピーエンドになれるんだろう、と思った。
創造主たる神は全知全能で哀れみ深いはずなのに、彼らに過酷な試練を与える理由をどう説明するのだろう、とも。
「全能であるがゆえに力にはなれない」という創造主の言葉の意味は深い。
世界が滅亡するのは人間の招いた結果だ、と切り捨てるようにも聞こえる。
神は人智を超えた存在であり、ときに神話の中で利己的に描かれることもあるが、やはり母のような大きな愛で私たちを包むものだ。
ある意味では予想通りの結末だったが、その結末までの過程が予想外すぎて、予想通りでも素直に受け入れられる結末だ。

環境問題を提起しながらも 断罪では終わらない

神への畏怖は多くの場合、その文化圏の自然への距離感を表すと言えるだろう。
だから、神話というのはその民族の文化背景であり、価値観の基盤でもある。
台湾では本作は毎週2話ずつ放送されたのだが、その日のオープニングとなる2話毎に、冒頭でアミ族神話が語られる(長老が幼き日の巴奈に語りかける形式で台湾華語ではなくアミ語によって)。
その日のストーリーの予告になるような内容なので、実際にアミ族で口承伝達されているものではないだろうが、このドラマがアミ族の精霊信仰について学ぶきっかけを私に与えてくれた。
長らく中国語を学ぶ人間として、それを嬉しく思う。
同時に、日本の若い人たちには日本神話に触れる機会があまりないという現状を、私は少し寂しく思うのだ。

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