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ホームズの時代の男女観

 NHK BSプレミアムにて、毎週水曜21時から「シャーロック・ホームズの冒険」が放送中。
 原作そのものと絶賛されたグラナダ版ホームズは、そのセットや小物、画面の端端まで考証がしっかりしていることでも称賛を集めている。
 そんなホームズの画面に映らない文化背景について、主に男女観や結婚観を以下に覚え書きとして記す。
 時間ができたら、正典も読み返したいものである…。



ヴィクトリア末期の英国

 シャーロック・ホームズが活躍したのは1887年から1927年のあいだ、イギリス帝国の絶頂期といわれるヴィクトリア朝期(1837年〜1901年)に重なる。ヴィクトリア朝はイギリスの国力が最も大きかった時代であり、その植民地は実に世界の1/3に達した。
 この時期は、イギリス国内で大きな社会格差が生まれていた時代でもあった。
 少数の裕福な上流階級とその下に広がる中流階級、大多数の貧困な下流階級の生活は大きく異なり、また中流階級のなかでも上中下と年収や生活の質に応じ求められる生活に差が生じていた。これら各階層が一同に集うロンドンは、1800年には100万人あまりであったのが百年で600万人を超えるという急速な都市化で過密状態となり、スラム街もそこここに誕生した(こうしたスラム街で客を取っていた娼婦たちが次々惨殺される事件が、このころロンドンのイーストエンドで発生した。『切り裂きジャック』事件である)。
 石炭火力と劣悪な衛生状態で、空気は決して美味しいとは言えなかった。「霧深いロンドン」の霧とは、水蒸気の細かな粒ではなく、石炭燃焼の煙に依るところが大きいのだ。田舎の田園風景に羽を伸ばすホームズやワトソンの描写は、オーバーなものでも心理描写をしたものでもなく、かなり実情に即したものであったらしい。
 ホームズがその力を貸すロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)は、1829年に設立された。パディントン駅が1838年に、ウォータールー駅が1848年に、キングスクロス駅が1850年に、1859年にはロンドンの代名詞ともいえるビッグベンが建った。1904年にはロンドンで最初のモーターバスサービスが始まったほか、地下鉄の整備もすすみ、イギリス屈指の名門ホテルであるリッツは1906年にオープンした。ホームズとワトソンが生きた時代は、まさに現在のロンドンが完成されていくその最中だったと言えよう。



男女観

 当時のイギリスにおいて、女性は慎ましやかで無知であることが求められた。特に19世紀半ばまでにおいて、知的探求心の大きい女性は「ブルーストッキング」と呼ばれ、男性の自然な知的優位を奪おうとするもので、女性らしくない不快なものであるとみなされていた。
 対照的に、男性は強く主体的で責任ある紳士であることが求められ、そのイメージははっきりと定義付けられていたと言っていい。ホームズやワトソンもしばしばそのイメージを重視する言動を取っており、「紳士とは何たるものか」は当時の男性中心社会における一つの命題だったと言えるだろう。
 とはいえ19世紀も終わりに近づくと、女性の権利回復運動が拡大していく。女性にも一部の職業が解放され、雇用の見通しが改善するのに合わせて、結婚や母性は必要不可欠なものとは見なされなくなった。
 221Bを訪れる依頼者にも働く女性たちがあり、彼女らは自らの収入で生計を立てている。これはまさに、この時代に台頭してきた生活スタイルであった。対して、父親に庇護され管理される女性も登場する。こうしたさまざまな女性像が混然としていた時代、それがホームズの生きた時代だったのである。



結 婚

 男女を結び付けるシステムとしての結婚は、21歳未満の場合は親の承認が推奨され、1800年代後半における初婚平均年齢は男性26歳弱、女性24歳強(1836年以降、男性は14歳、女性は12歳から婚姻可能となっていた)であった。
 また社会的地位に大きな格差がある婚姻は良しとはされず、中級と上流階級の結婚では年齢差や婚約期間も大きくなった。加えて夫が十分な家と家財を提供できるようになるまでは結婚せず、婚約期間とするのが一般的であった。すなわち結婚とは、男女等人の愛よりも、地位と金銭の絡む社会的な問題とみなされていたのである。
 1836年から登記所での民事式婚姻、1856年からキリスト教以外の礼拝所での婚姻が可能になったが、ホームズが活躍したその後の時代も含めて、ほとんど(1900年までで全体の2/3)は英国式教会での結婚を選択した。
 なお1886年までは、結婚式は朝8時から正午までのあいだに行われなければならなかった。その後、労働者階級の労働時間を反映して、下限が午後3時に変更された。上流階級における「結婚は正午までに」という意識と、労働者階級の生活に則した要望が合わさった結果と言えるだろう。「ボヘミアの醜聞」で12時までにと結婚を急ぐ描写があるが、こうしたシステムを踏まえると「地方支所の開庁時間内に婚姻届けを提出する」ようなニュアンスであろうか。
 ウェディングドレスが純白となったのはこの時代だが、人生で一度しか着られないドレスよりも、その後の生活で使用する機会のあるドレスを仕立てることが多かった。花婿の服装については細かな規定はなく、上流階級こそ適切な服装の目安はあったものの、一般的に目立つことは推奨されなかったらしい。
 ウェディングケーキは、この時代に現在に近いものとなった。複数段重ねの大きなケーキが式場に用意され、ケーキ入刀後はその場で食べることはせず、箱に入れて持ち帰った。


結婚後の生活

 結婚すると女性の持っていた権利は全て夫となる男性に管理されることになり、一方で男性は家族と使用人全ての生活を保証する義務が生じ、女性は、そのサポートをする良妻賢母であることが求められた。なにかを契約する際は夫の名義を用い、妻が個人で契約や遺書を残すことは認められなかった。
 1870年に妻がお金を稼ぎ貯蓄することが認められるようになり、1884年には、妻が夫の所有物でなく独立した別人と認められることになったが、社会的な結婚観が「首長たる夫と付属する妻」であることは長く残った。


離 婚

 当時離婚は一般的慣習ではなく、確固たる根拠がなければ成立しなかった。そして離婚原因としての姦淫は、基本的に男性側にのみ認められていた。1857年に離婚事由として夫の暴力が許可されるが、実際に離婚が成立することは多くはなかった。すなわち夫の不貞に気付いたとしても、女性はその他家庭内暴力や近親相姦などの事例を証明しなければ、自ら離婚することができなかったのである。
 また離婚すると財産権や親権は父親のもとに渡り、母親は子どもに会うことができなくなったようである。


所 感

 まだだ、まだ終わらんよ! まだまだ色々調べたい(主に単位とか単位とか単位とか)のですが、結婚云々で力尽きました。ほかのテーマはまた後日。
 ホームズの生きたロンドンが知りたい人、各話におけるちょっとした知識が知りたいひと、ぜひスタンフォード大学のホームズ紹介ページに行ってみてください。まじで超楽しい。一日がつぶれる。
 ほかにも、日本史やほかの作品との比較とかしてみたいですね。鬼滅の刃はホームズの活躍後期にかぶるし、ゴールデンカムイはちょうど中期。はるか太古に大学で調べた時代もちょうどかぶるじゃないか。
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参 考

http://dickens.stanford.edu/sherlockholmes/index.html
https://www.britainexpress.com/London/victorian-london.htm
https://www.shmoop.com/study-guides/literature/return-of-sherlock-holmes/quotes/marriage
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Women_in_the_Victorian_era
https://www.bl.uk/romantics-and-victorians/articles/daughters-of-decadence-the-new-woman-in-the-victorian-fin-de-siecle
https://www.historyextra.com/period/victorian/how-to-celebrate-victorian-wedding-dresses-food-honeymoon/
https://www.grin.com/document/233116
https://spartacus-educational.com/Wmarriage.htm