捌週目 平敦盛 “人”

“人”とは存在ではなくあり方。”愛”とは行動ではなく生き様。

旅の途中、望美が見つけた、行き倒れている雅な青年。彼は自らを平敦盛と名乗り、「平家に生まれながら平家を捨てた裏切者」「罰を背負いながら死ぬこともできない罪人」「幸せになるべきではない存在」と中二病満載もとい、自己否定を続けながら旅に同行する。綺麗な笛の音を奏で、周囲のことを思いやり、怨霊であっても理解を示そうとする優しい心を持つ敦盛だったが、物語を進める中で彼の正体が明らかになる。彼の正体は、平家にて初めて生まれた怨霊であった。彼は死に場所を、そして自分のような憐れな怨霊をこれ以上生み出さぬよう、望美とともに旅を続ける。平家を救うために。
遙かなる時空の中で3という物語の中に住まう”敵”である怨霊についての理解が深まるシナリオでした。怨霊とは何で、何故生まれるのか。それは決して意志持たぬゾンビではなく、むしろ逆で、現世への強い未練や後悔によって成仏できず、それに付け込まれて怨霊になった悲しき存在、それが怨霊でした。怨霊になる要素が負の感情とくっつきやすいのか、人間の愚かさゆえに負の感情でないと怨霊として現世に留まれないのかはわかりませんが、確かに平清盛や維盛、経正も”現世でやるべきことがある”という一縷の蜘蛛の糸から怨霊として生まれました。これは私の解釈ですが、清盛は「平家をもう一度復興させたい」、維盛は「弱い自分のまま死にたくない」、経正は「弟が心配」という、決して邪悪な気持ちでとどまったわけではないのでしょう。しかし清盛は平家に非ずんば人に非ずを体現する耄碌童子となり果て、維盛は人を踏みにじり支配する乱暴者に成り下がりました。経正も敦盛を心配するあまり敦盛との会話を避けていたと解釈すると、なるほど怨霊はこれ以上ない尊厳破壊だと僕は感じます。余談ですが、僕は作内で出会った皮肉屋で傲慢な邪悪な維盛は、本来の維盛様ではないと思っています。ダイレンジャーの泥人形よろしく、自分のことを本人だと思い込んでいる紛い物。「理想の自分」が歪み、自分のことをかつて臨んだ理想の維盛だと騙っている別人。そんなグロテスクさを感じます。実際はどうなのかはわかりませんが。
鎖に繋がれ、己を罰し、自己肯定感が底辺を通り越して自己嫌悪にまで行きついている青年を見ていると、ひと昔前にうずく中二心を感じました。子供のころやったことあるよ、左手甲にサインペンで紋章を書いて、それを保健室でせしめた包帯でぐるぐる巻きにしたこと。100均一でプラスチックの鎖を買って体中に巻き付け「この鎖を斬れば邪悪な魂が俺の体内から顕れる」などと嘯き近所の森を彷徨い歩いたこと。友達がテレビの内容でゲラゲラ笑っているのを見て「フッ、お前たちが何も考えずに笑っている裏では、俺たち(ガーディアン)が苦しみながら崩壊(ラグナロク)を食い止めるための聖戦(ジハード)を繰り広げているのさ」と空を見ながらつぶやいたこと。しかし、彼が感じていたのはそんな頭や胸元をかきむしりたくなるような痛すぎる思春期によくある特別感に浸りたいがための偽りの自己嫌悪感ではありません。己の生き様、存在そのものが悪であるということをほかの誰でもない自分が忘れてはいけないのだという、自律の心だったのだと思います。存在そのものが悪。生まれたことが罪。死ななければ誰かを不幸にする。自分の幸せが他人の不幸に直結する、そんな世界。自分は悪くないのに、自分ではどうしようもできない十字架を背負わされ、無責任に下ろすことも誰かに肩代わりさせることもできず、ただただ優しい彼はその十字架の置くべき場所=自分の死に場所を求めたのでしょう。しかし、彼は仲間を得て、理解してもらえるかもしれない存在と出会う。そこで彼は生きたい、自分が消えるためではなく、人を救うため。何より自分を理解してくれる人が生きる世界を守るため、後ろ向きな気持ちではなく前向きに旅を終えました。神様はそれを見届けてくれたのでしょう、もしかしたら限りある”時間”かもしれない、許しを得た”余命”かもしれない、それでも彼は、望美ちゃんと歩く未来を得たのです。PS2版の容量の関係上、若干駆け足感は否めませんでしたが、戦争で命のやり取りをやっている世界なので、迷っている暇などないのでしょう。それに、優しい彼のことだから、最後に語らいの時間を持つと決心が鈍り、前に進めなくなったことでしょう。深謀遠慮な彼が、初めて無鉄砲に突っ込むことができた。人の顔色を窺いながら生きてきた彼が初めて自分がやらないといけないこととして行動を選んだ。それは一つの成長なのかな、と思ってしまいました。
当シナリオ自体の描写が少ない上に、癖が強い八葉の中では非常に優しく、和を重んじる性格なこともあったため、実は怨霊由来の破壊衝動に苦しんでいるというのはあまり感じにくかったです。しかし、元々怨霊とは前述のとおりこの世への未練が負の感情と結びついたものであり、望む望まざるにかかわらず、最終的には心も体も化け物になり果てます。実際、彼が成った怨霊はいわゆる西洋悪魔の黒山羊に酷似している(と思っている)ので、事実敦盛は最終的には悪魔となるはずだったのかもしれません。そういう意味では、人のままでいてほしい、と願った望美ちゃんの願いが、彼を人たらしめたのかもしれませんね。もしくは、人でいてほしいという望美ちゃんを愛したからこそ、人であることを望んだのか。
最後に、敦盛君のエピソードは描写も相まって「最後は愛が勝つ」というような解釈になりがちですが、感想を書いている時点だと、「今まで愛や夢などを持つつもりがなかった彼が、初めて愛を掴んだ」と考えると、それはそれで愛の物語だな、と感じました。
か”わ”い”い”な”あ”敦”盛”く”ん”!”


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