拾週目 源九郎義経 “己”

本当の自分とは、誰かが求める自分ではなく、自分のための自分であること。

望美を匿うことの便宜を図ってくれたのは、時の将軍源頼朝が弟にして、源平合戦のヒーロー、源九郎義経その人だった。軍略に白兵戦、一騎当千もものともしないと、源氏の棟梁に申し分ない戦の才を発揮する彼だったが、それは兄頼朝への敬愛と忠誠からであった。自分が戦で功を立てれば兄が作る源氏の世はもっと良いものになる。兄である頼朝はそれを望んでいる。義経はそう信じて疑わずに武勲を立てまくる。しかし、その気持ちはほかの誰でもない、頼朝に裏切られてしまう。その武勲から後白河上皇ことスケベハゲジジイから検非違使の任官を受けますが、それによって源頼朝ことスケベヒゲジジイは逆恨み(だけでないことが後から分かるのですが)から九郎を捕縛、鎌倉の長である頼朝の命に背いたとして捕縛。嘆願書も書き、頼朝に読んでもらうよう届けてもらうも甲斐なく処罰されてしまう。それを救えなかった望美は、時空を超え、九郎に任官を断らせるよう説得をする。しかし、九郎は兄への盲目的な信頼と忠誠ゆえに望美の言葉を受け入れられず、悩み続けることに。兄のための自分、源氏のための自分、本当の自分、今まで求められる立場だった九郎が初めて掴んだ、誰のためでもない自分とは。そして、その先にいる望美との関係はどうなるのか。
青龍コンビだけでなく、四神のコンビは全体的に対になるような気がします。こと青龍の二人は「弟と兄」「鎌倉人と現代人」「源氏の棟梁と平家の戦神」ネタバレになりますが「現代に行くものと鎌倉に戻るもの」そして何より「強いが故に悩む天才と強さを望んだ凡人」。この二人はどこまで行っても陰と陽。たとえ本人たちが仲が良くとも、対立構造になってしまいます。将臣√を経てからの九郎√だったこともあり、この対立構造、特に人間として未熟な部分が顕著に見え、それからの成長物語として楽しむことができました。元々共通√並びに初期の九郎君への感情としては「兄上bot」としか思えなかった分、初めて自分が何のために戦っているのかを考え直すところは一つの見どころとしてありました。今まで源氏のために、兄上のためだけに戦ってきた男が、初めて自分のために戦う理由を述べ、そのうえで兄のためではない、自分のために言葉を述べた、そんな男の成長物語が九郎√だったように感じます。大人になったね、九郎。
さて、先ほども度々言っていますが、九郎の問題は戦以外の、特に人との感情の機微は疎いと言わざるを得ません。今風に言えばクソボケです。辞めたら?源氏の将。恋愛に関して言えば後述する望美ちゃんのツンデレ委員長ムーブを引き出せたということで素晴らしいと言いたくなるのですが、人の上に立つ人間にしてはいくら何でも軽率、と言わざるを得ません (近くにいるのが景時、弁慶な上、彼を苦しめている頼朝など、彼のそばに居る人間が良くも悪くも人の人心を大事にして転がす(転がされる)人たちが多いこともあり、比較するとどうしても軽率ムーブが色濃く感じます)。そもそも義経と望美の許嫁の嘘だって、そうせざるを得なかったとはいえその後のフォローが一切なく、あまつさえ「こちらから願い下げだ」みたいなことを言うような男なのです馬鹿にしてんのか俺の望美ちゃんのどこが不満なんだ言ってみろポニテみたいなちょんまげしやがってコホン脱線しました。頼朝に関しては百歩譲って「あの時代の上下関係は仕方ないし」と納得できるのですが、上述の市井の民、しかも平家の陣に近い所に宿を貸してくれた人に源氏の名を名乗るというのは自殺行為だと分かるはずです。下手したら貸してくれた家主が平家派で情報を横流しする、もしくは家主が善良でもそれを聞いた間者が家主ごと焼き討ちかねない、ちょっと考えればわかることを彼は”考えない”。あらかじめ言っておくと、九郎は恐れ多くも源氏の棟梁。そんなことを考えられないわけではないのです。軍略も立てられるのだから。その発想に至れない理由がないのです。しかし、考えない。これは後述する、彼の”ご都合主義”、もっと言えば”甘さ”に繋がります。
誤解のないに言っておくと、これは九郎の短所ではなく、長所だと言えましょう。このデリカシーの無さゆえに選ぶべき選択がわかるし、人の心が介在しないからこそ割り切った軍略が立てられる。この戦は何のための戦なのかがはっきりとわかる。正々堂々ではない、自分好みではない戦であっても結果を出せる。一軍の将にあるべき資質であることは間違いありません。信長の野望とか、タクティクスオウガとかHOI4のような、戦略ゲームであれば敵なしでしょう。しかし、戦争はゲームではない。人は死ぬし燃料は枯渇する。殺されれば恨みもたまるし戦争外の被害も出る。歴史上、消耗や被害を度外視する作戦は古今東西失敗し後の世に禍根を残します。聞いているか牟田口。しかし、そういう人の心の機微に疎い人の特徴は、「何となく自分はうまくいく、誰かが自分を助けてくれる」というご都合主義精神があります。実際九郎は自分より景時が重用されていることをなんとなく感じ取りつつも、頼朝がきっと自分を許してくれると信じて手紙を書いています。この手紙を書けば、わかってくれるはずだ、と。しかし、人の心の機微に疎く、人の気持ちを考えない人間がそれをやっても、ご都合主義にしか見えないのです。それはそう、自分の視点でしか物事を見られないから、自分が無事であることが絶対であり前提条件でなければならないのです。こうやって聞くと九郎君ちょっとやばい人だね。でも、だからこそ望美と出会って何かのためではない、誰かのために戦うことに気づき、許嫁の嘘を通して「合理だけで解決できないものがある」と改めて知り、源氏の将ではない、頼朝の弟でもない、源九郎義経という男がどんな男なのかを、自分を愛してくれる女の視座から客観的に見ることができた。だからこそ、許嫁であるという嘘さえも最後まで使うことができたのだと思います。余談ですが、間章で「関係のないお前(=望美)を巻き込んでいる」という言葉が出たことに、最初は「九郎がそんなこと言うの!?」と思っていたのですが、合理的に考える(事実として考える)と、そもそも戦の目的が違う以上重用できない(大事な任に着けない)と考えると、その発想になってしまうこともあるのかもしれないな、と書きながら納得しているところです。
もう一つ述べておきたいのは、このルートに関して言えば、望美ちゃんはツンデレ美少女でした。そもそも九郎が上述の通りあまり人の心の機微に疎く、若干のノンデリ気質なことも相まって、にぶにぶのクソボケ九郎とそんな風にしか言えない九郎に委員長精神が刺激されている女の子の、互いにリスペクトをしあいながらぶつかり合っていく、そんな√で私は大満足でした。ハレ晴れユカイを子守歌に、ゼロの使い魔をゆりかごにしていたツンデレ全盛期オタクからしたらもうときめくに決まってるじゃん。声が川上とも子さんなのもあり、活発で頑張り屋さんなちょっと気の強い女の子との親和性は計り知れません。水野十子先生が遙かなる時空の中でを漫画連載していることもあり、少女漫画感の強い作品であると言えましょう。その分、一生懸命頑張っている望美ちゃんの芯の強さがこれでもか、と言わんばかりに前面に出てましたね。あまりにも強すぎるあまり、九郎に背中を預けながら軽口をたたく姿には思わず「ヒューッ!」と口笛を吹きそうになりました。コブラじゃねーよ!他ルートでは見られないツンデレなケンカップルな二人を見ながら、俺はさながら壁のように二人の愛の言葉を見続けることになりました。尊い……無理……好き……。
最後に、過去一とりとめのなさすぎる感想文となってしまいましたが、割と私の乙女回路を刺激して止まらない物語でございました。本当はダキニ天のことも語りたかったのですが、それはおそらく大団円ルートで語られるでしょうなので、割愛させてもらいます。地位も名誉も金もある世界を捨て、愛する女がいる世界に身一つで飛んでいく、その気概は間違いなく、源氏を勝利に導いたすさまじい戦神の姿でした。ええもん見せてもらった……。ありがとう。

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