肆週目:武蔵坊弁慶 “悪”

正しさや理想のために、裏切り、嘘をつき、欺き続け、己の中の悪に向き合った大悪党へ。

武蔵坊弁慶はキャラクター造形から二人とも「裏切りそうな男」という意見で合致していました。それは声優さんの演技もそうだしビジュアルもそう、言葉選びに至るまで絶対に腹に何かを抱えているな、と感じていました。実際彼の目的は唯一つで「戦争に関係のない人達が殺されなくて済むよう、早く戦争を終わらせる」こと。そのためであれば平家にも寝返るし殺す必要のない兵士も殺すし望美も誘拐する。特に弁慶が犯した大罪は、黒龍の龍脈を断ち、応龍の均衡を乱したことで世界の均衡が乱れて京の町は壊滅し、朔ちゃんは愛する黒龍と離れ離れになって尼さんになり(ここが一番重要)、清盛が黒龍の逆鱗によって怨霊を生み出してしまうきっかけになってしまいました。確かに応龍の均衡が崩れたことによって白龍の神子が呼び出され、黒龍の逆鱗に縛られたことによって清盛を倒す方法を生み出せた、という功績はありますが、それはあくまで結果論的なものであり、弁慶自身もそれは罪である、と自認しています。
その一方で、弁慶は自分の立場、もっと言えば言わないといけない言葉を分かっています。直進的で卑怯なことを嫌う九郎、頼朝率いる”源氏”の味方をしなければならない景時、目に見える人すべてを救いたい望美、この世界の理がよくわかっていない譲。そんな中に居れば、例え残酷な結果でも、最も現実的で合理的な判断を誰かがしなければ、このパーティは頓挫してしまう。成さねばならない大義を達成できず犬死になってしまう。理想だけでは生きていけない、ベストが叶えられないならベターを提案するしかない。それが恨まれても憎まれても仕方ない。誰かがやらないといけないのだから。現に望美から己の行いを責められても、願いだけでは誰も救えない(俺解釈)と言っています。弁慶が行った罪も、あくまで選択肢として一番合理的だったから為したのでしょう。
戦争なんて言うのはどちらも正しいと信じていて、どちらも勝ちたいと感じている。であれば源氏が勝てば円満に終わるわけがない。きっと源氏が勝てば何かしらの形で平家が復讐しに来る。もしかしたら自分の家族を殺した連中を根絶やしにするものが現れるだろう。戦争は勝ったから解決、終わったから終了、という話ではないのです。そもそも、望美が源氏側にいるから源氏の人たちに感情移入して肩入れしているだけで、望美が平家に居れば平家に買ってほしいと思うのは当然のことです。平家が正しい、源氏が正しい、という二元論では解決できないのです。だから目的はシンプルに、”戦争被害者を減らす“。
じゃあ弁慶は理想論は無駄だと思っているのかと言えば、きっとそんなことはないでしょう。理想論を告げる望美に苦言は呈しながらも、それでも望美の選択を信じているところもあります。これは薬師をやっていれば当然だと思います。完璧に治る薬があればそれに越したことはない。薬を渡すのが目的ではなく、病気を癒すのが目的なのだから。それが志につながってきます。源氏を勝たせたいのが目的ではなく、戦争を終わらせたいのが目的でもなく、”戦争で苦しむ市井の民がこれ以上苦しまなくて済む”ことが目的。だから、弁慶は罪を被っても罰を背負っても、志を揺るがすことは許されないのです。だから僕は弁慶の発言について、理解しかできません。誰かが言わないといけないこと、誰かが成さないといけないこと、それを自分が泥や罰を被ってでも言わなければならない。その憎まれ役、嫌われ役を担える強い男、それが弁慶なのでしょう。さながら、義経を守るために自分の身を挺して立ち往生した武蔵坊弁慶のように。
さて、望美との関係ですが、僕は弁慶の告白が一番胸に来ます。今まで手を変え品を変え、こちらから何をせずとも自分の思うように運ぶ戦略を得意とした弁慶が唯一諸手を挙げて乞い願ったもの、それが望美でした。今まで欲しいもの、叶えたいことは頭を使って為してきた男が最も欲しいと願った愛する人は、最後の最後に自分の元に来てほしいと”願うしかない”。策士が、初めてなすすべなく成り行きに身を任せることしかできない、選ばれることを願うしかない。そんな憐れで弱い男の恋の結末が、とても僕はいじらしくて好きです。自他ともに認める罪人であり、望美と生きる道は決していいものではないのでしょう。成してしまったことの贖罪も終わっていません。ですが、その贖罪の道さえも望美がいれば、それだけで前を向ける。今まで過去、現代しか見ていなかった男が、好きな女の子と一緒に未来に向かって歩き始める。そんなエンディングに、僕は愛を感じてしまうのですね。

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