拾弐週目 大団円 “愛”

道は違えど、時を戻れど、幸せな日々を願う限り、遙かなる明日はどこまでも続く。

それぞれの苦しみや苦悩を乗り越え、再度同じ争いの時空に戻ってきた望美。運命のほころびの決定打であった和議の決裂。この決裂を決定したのは源頼朝、そしてその妻である北条政子であった。戸惑う八葉であったが、望美の強い気持ちから、和議の続行に協力することになる。将臣と敦盛は平家に戻り和議を進め、景時と朔は戦奉行の立場から和議の準備をし、九郎、弁慶、ヒノエは源頼朝に和議の実施を頼み、譲とリズヴァーンは最後に残った望美と北条政子との戦いを援護する。それでも頼朝の命を最優先する政子だったが、既にみんなが動いていることから降参、平家と源氏の和議を渋々ながらも了承することとなる。しかし、和議はなったものの怨霊の清盛と荼吉尼天が憑いている北条政子はやはり不倶戴天の化け物である言には変わらず、妖怪大戦争の末荼吉尼天が勝利。隙を見つけ望美を襲撃した荼吉尼天は、望美の世界に飛びその世界を支配せんと、その世界から飛び出してしまう。しかし、八葉や白龍、朔と心を通わせた望美には敵ではなく、八葉共に現代に戻っていった望美たちは、現代の世界にて八葉と共に荼吉尼天を倒し、真の平和を勝ち取るのであった。
この作品の素晴らしい所は、それぞれの八葉が思い悩んでいた苦悩や不安、そしてその果てに見た希望をこれでもかとばかりに発揮したところです。将臣と九郎の勇気と意地、譲と景時の研鑽と知恵、敦盛とリズヴァーンの信念と強さ、弁慶とヒノエの立場と機転、朔と白龍の希望と行動力。そして望美の諦めない心。文字通りどれか一つでも欠けていれば、それぞれができることをしていなければ、この結末にたどり着けなかったと思います。決して文章量は他のルートに比べて多くはなかったですが、その分それぞれが成すべきことをしっかり語られていることに、私は胸が熱くなるものを感じました。
さて、絆の関、とは文字通り「この人にならここまで話しても良い、と思える絆のライン」のことだと思います。いくら白龍の神子であっても、いくら優しい素敵でかわいい子であっても、いくら強くても、その人が不安を語ってくれるか、信じてくれるかは別です。リズヴァーン先生が顕著ですが、望美ちゃんのために生きてきたのであればこそ、望美ちゃんに知られるわけにはいきません。しかし、人間だれしも気づいてほしい、わかってほしいという気持ちがあります。その“わかってほしい”に気づけるかどうかの防衛線、これが絆の関という概念だと僕は思います。そして、このルートに行くためにはその絆の関がすべて解放されていなければなりません。そのうえで、本来そのルートに行かなかった八葉たちが、何故他の時空で解放された絆の関の影響を受けるのか、を考えてみたいと思います。メタフィクション的には周回を経てそれぞれのことを理解したうえで大団円に進もう、ということなのでしょうが、物語的に考えると、これはあくまで仮説ですが、同一存在であれば別の異なる時空であっても、自分を理解してくれたという気持ちは何となく感じることができたからではないでしょうか?おそらく和議を結ぼう、と言った時にそれぞれの八葉に今まで望美が歩いて知ってきたそれぞれの八葉の苦悩や絶望を語ったのかもしれません(同じ場所だったので流石にデリカシーのないことはないと思いますが)。しかし内容以上に望美の八葉それぞれを思いやる言葉選びや伝え方、表情などから、己のことを強く理解してくれた、そのうえで自分の前で笑ってくれた、という事実が絆の関の影響なのだと思います。つまり、絆の関の影響は本人たちだけでなく、望美にも影響しているのだと思います。だからこそ、信じられない、と言って望美を叩き切る兄上botの九郎もいなければ、黒龍を結果的に死に追いやった弁慶を憎む朔もいなかったのだと解釈しています。
最後になりますが、この作品はまだ平泉ルートと呼ばれる追加要素があるようなので、その時に完全完走した感想は伝えていきたいと思いますが、とりあえず遙かなる時空の中で3というゲームの大団円ルートのクリアをもって、この作品を踏破したことをここに記載いたします。本当にお疲れ様でございました。

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