弐週目;有川譲 “恋”

愛だけに生き、恋から逃げていた男が、恋を知る話。

有川譲は、言成としては第一印象で好きになった男です。先輩のことをしか見えておらず、他の人への興味はまるでなし。自分よりも出来る男が近くにいることに焦り、それなら自分の気持ちは抑え込み、幸せだけを願う。他者に対しては誰よりも幸せになってほしいと願うくせに、自分のことを裁量に入れない。無欲な欲張り。それが、彼の印象です。
有川譲は異世界に飛ばされる前から文字通り、先輩(=望美)の幸せだけを求めていました。もしかしたら描写されていない時点では望美の彼氏になりたい、望美の隣に居たいと思っていたこともあるかもしれません。しかし、それは自分にとって憧れの存在であり、同時に目の上のたんこぶである有川将臣の存在(正確には、それを疎んじる自分の気持ち)によって蓋をしていたのでしょう。しかし、何の因果か想い人と共に異世界に飛ばされてしまった。心細い想い人を支えるのが僕の役目だ、もしかしたら先輩は僕のことを頼りにしてくれると思っていた。しかし、自分よりも頼りになりそうな面々(言わずもがな有名な義経に弁慶、頼れる兄貴分である景時、臆面もなく愛の言葉を綴れるヒノエ)が6人も増え、そしてコンプレックスの対象であった将臣も自分以外の八葉として同じステージに立った。そんな時に彼は「誰がライバルでも負けないぞ!」と言えるでしょうか?16年近く想い続けてもなお進展がないのに、そんな勝ち目のない勝負を頭のいい譲が引き受けるわけがありません。誰かから「お前じゃ望美に相応しくない、負けを認めろ」と言われるよりも辛かったと思います。そして己のライフワークであった弓道の師(後に分かるのですが那須与一その人)の大怪我、それに伴う自らの死の予知夢。彼が星の一族(星詠みによって未来を感じられる一族)であることにより、ただの悪夢だった死の予知夢は現実的な意味とビジョンを持って彼に圧し掛かります。そこで彼は決意するのです。どうせ自分が死ぬのなら、せめて望美だけは守ろう、恋心にきつく蓋をし、望美への愛だけに生きることを決めました。
彼が死ぬとき、「死ぬのは怖くない」と言いました。それは正直な言葉だと僕は感じました。己の命さえ愛する人のためなら惜しくはない。愛する人が幸せならばそれでいい。しかしそれは同時に「僕の人生に貴方(=望美)からもらうものはない」という拒絶の意味も取れます。僕はそれはエゴだと断じましょう。望美を”愛せる”ほどに譲は持ち得ているのか。与えられるほどに渡せるものを持っているのか。それがわからない状態では、譲のやっていることはこれ以上ない有難迷惑です。しかし、ぎりぎりまで望美も譲に求めようとしなかった。幼馴染である譲以外を見ていなかったのか、見れなかったのか。一人の人間として向き合っていたようでいて、譲を心ある一人の男として向き合っていなかったのだと感じます。そして、彼の死が近づく中、望美ちゃんが有川譲に向き合った時、彼は初めて望美に”求めた”のです。つたない言葉で、抑えられない言葉で、溢れる感情で。僕を見てほしい、幻滅してほしい、気持ちを向けてほしい嫌ってほしい馬鹿にしてほしい愛してほしい……。頭の良い彼なら今までだったらしないであろう、幼稚な言動。でもそれが、愛が恋に転じた瞬間だと僕は感じます。そして、最終的に望美が譲からの気持ちを受け取り、望美からも返事を”求めた”ことでお互いに渡しあい、受け取ったことで互いの気持ちを知り、死の運命を避けることができた、僕はそう考えます。
よく彼を例える言葉に”ヤンデレ”という表現をする方も多いかもしれません。ただ、僕の解釈としては彼は求めなかった、つまり”愛”しても”恋”が出来なかった男だと感じます。これは僕の持論ですが、【ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れないCD】を聞いたことがある方はわかるかもしれませんが、CD作中に出ているヤンデレの女の子の多くは基本的に”愛してほしい”、”ほかの人を見ないでほしい”という希望があり、その希望を叶えるための出力の仕方が暴力や監禁になります。なのでヤンデレが好きな人からすると「あんなのヤンデレじゃないわ!ただのメンヘラよ!」となるのです。よく「『恋』は下心、『愛』は中心(なかごころ)」と言われることがあります。恋は、”俺の”気持ちを受け取ってほしい、”私と”付き合ってほしい、”誰のものにもならないで”ほしいという、相手への願望、身もふたもない言い方をすれば基盤は相手へのコントロールにあります。逆に愛は示すことができ、送るものであり、育むものです。こちらから与え、補うもの。だからこそ、愛が尊く、逆に恋がお粗末なものに見えることもあるでしょう。しかし、先述しましたが、与えるためには自分が持っていなければなりません。親は子供にないものを持っているから与え、育むことができます。働き手(夫)は己の経済力や行動力を用いて妻を愛するし、奥方(妻)はその居場所を守ることを通して夫への愛を示すことができます。
長々と書きましたが、私は有川譲をどんな男か、と尋ねられると、「恋を知った男」だと述べるでしょう。愛だけではいつか枯渇していく。そうなったとき、愛は身を亡ぼすだけの毒になってしまう。”譲”るだけだった男が初めて、愛を”望”んだ。そんなボーイ・ミーツ・ガールなストーリーだったと、僕は感じざるを得ません。

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