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「雑談を求める」という暴力

※ポエムです。解決とかそんなのもなく書きなぐりです。

ふと見かけたnoteでよくある組織が大きくなった時の問題が書かれていた。

この手は会社の規模がどんなサイズだとしても発生させない方法は存在しないことだし、解決するのは銀の弾丸は存在したりはしない。特に聞いたら答えるんだけど聞いてくれないからというのもいかんともしがたい。
他で行った成功の解決法をそのまま適応しても物理の動作ではなく人間同士なので同じものが成立するってことはありえないし、流れの早いこの時代にただ流行りをおったみたいな雰囲気にもなりえたりする。

このnoteでも解決はひたすら繰り返して伝えていくことを試行錯誤するしかないとは書かれてはいる。
なので、これらの問題は会社の間接費として人や時間含めて相当なコストをかなりかけていかないと、断絶によって会社がどんどん崩壊していくということではあるというのはよくあることである。
よくある社員が10人、30人などになったときの壁という一部の要素でもあったりもする。

ただ、これらの方向でこのご時世柄もありどうしてもオンラインで個の世界に閉じこもってしまうため、解決をするために安易にバズワードですか?という形で「雑談をしましょう」というスタイルを求める機運が強い。
「オンラインで雑談の部屋をずっとあけているので入ってください」「朝の報告会の前に1人1分で雑談タイムを取るので話しましょう」「持ち回りでテーマを決めてもらって少人数にわけたのでそのグループで話しましょう」

これらって「雑談」で解決する話でしたっけ?
いや、やらないよりやったほうがいいし、個の集合体で数割が解決する事も多いとは思うので効率が良いものをとるべきだというのもわかる。

でもね。
これらってファシリテーションがうまくいっていないと、単なる暴力に感じる人達もいるわけですよ。最初はそう感じるかもだけどやっていくと~というのもわかるんだけど、数回やったタイミングでコントロール不能に陥ってうまくいった人とうまくいかなかった人の断絶が大きくなり、それが数ヶ月経ったら、それについていくのに合わせないといけないから必死にネタを探して「雑談しなければいけない」という思想に陥っていくわけです。
で、ストンと「俺何やってんだ?」と落ちたときが恐怖。
なにせこういう風にやるといいと聞いて、いいねと導入したからこそ、各個人に委ねすぎてしまうとなりえる話しだと思う。

これらって「雑談」というのが雑すぎて捉えすぎてるのがボタンがずれまくってるのかなぁと思う。雑談って簡単なことだと思いこんでしまっているんだと思う。
ネタを見つけてしまい込む人、何をしても何か意味を探してしまう人、ただただ優越感を求め自慢したい人、見て感じたことを直球で口に出すだけの人。
それの中で全員が同じことを思うであろうと決めつけてそれの方向にもっていこうとしてしまい、個を殺して全体主義にしたくなる日本人のよくやっちゃうやつみたいな雰囲気になってしまう。

私自身がそういうものの解決方法などに強い興味があるわけではないし実践して云々とかかける訳もないから、これはポエムではあるんですが、このあたりってどう独り言をちゃんと言える領域を作り、独り言をゆるくひとくくりにして、独り言を全体とくっつける仕掛けを仕込めるかではないのかなと。
感覚的に言うと、独り言を誰かが見て、全然関係ないすれ違い時に「あ、そういえばさーアレさー」って言える体験をどう仕込めるか。そう言うと「あーアレさー」って言うためにわざわざ場をつくろうとしたりするけど、そんな場を使ってさぁ「アレさー」って言ってよっって言われても言わないアレ。

このもどかしさをなんとも伝えきれない。
だからポエム。

なんにしても、このオンラインの時代になってツールが溢れきってしまっているので、そういうツールは見え隠れしてる気はするけど、本質的に近しいことをやってるところを僕は知らない。そういうのは中に入らないと見れないからなぁ・・・。

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