見出し画像

2021年 最高の歌について

人間、生きているとごくたまに、奇跡みたいなライブを目にすることができます。

 

1998年 フィッシュマンズ最後の「LONG SEASON」

2000年 フジロックでのTHA BLUE HERB「ill beatnik」

2010年 DODDODOの「夕日」

 

もちろん、音楽なんて好き好きなので、上に挙げたライブに何も感じない人もいるでしょう。

でも僕は大好きで、そして人生のあらゆる場面でそれらに救われてきました。

名曲や名演はあくまで個人的なもので、気軽にその感動を共有することができないのは、どうしようもないけどちょっぴり残念に思えたりするものです。

 

さて、表題の件について。

2021年、僕が最も食らったライブが、YouTubeで視聴したヨシダ in the sunさんのライブ映像でした。

動画のタイトルは、この日彼が名乗った『ヨシダ in the sunが放ちうる最後の光』。

僕にはこの歌が本当に刺さりすぎて、ヨシダさんと面識もなければTwitterで絡んだことすらない、いわゆる友達の友達くらいの距離なのに、聴きはじめてから数ヶ月経った今、ついに突き動かされるようにして感想をnoteに記すに至っています。

この歌の凄さを簡潔には記し切れないので、多少長く、だらだらと書くことになりますがご容赦ください。

また、「この歌についていちいち語るのは野暮だ、黙って感じたまま感じるだけでいいだろう」と思われる方もいらっしゃることかと存じますが、まあ僕みたいな、いち雑魚の意見ですので、軽く受け止めていただけましたら幸いです。

 

では。

 

まずは何がいいって曲と声がいいです。メロディーと、弾き語りというスタイルと、主張している内容と、力強くも絞り出すような声質の噛み合い方がまさに奇跡的なまでに絶妙で惚れ惚れします。ここ、この人でしかこの歌は存在しえないという必然が、ただでさえ素晴らしいこの歌の価値をさらに崇高なものにしている、そのように思います。

 

そして本題、この歌が取り扱っている題材である『ちんちんの生えたルンバ』について述べたいと思います。(公式にはどうかわかりませんが、ここでは平仮名で『ちんちん』と表記させていただきます。)

まずはこの演目こそがヨシダさんにとっての『ちんちんの生えたルンバ』に他ならず、その事実が元から強靭なメッセージにさらなる説得力を与えており、表現としての奥行きを生んでいるという点。ストリートミュージシャンがギャラリーに呼び掛けるというていを取りながら、芸人と客席の関係においても成立する二重構造になっとおり、いつの間にか客席はストリートミュージシャンのギャラリーと同化し、寄せ来る『ちんちんの生えたルンバ』の波に包み込まれていくのです。

『ちんちんの生えたルンバ』とは何なのか。それは世間のしがらみ等の外的要因によって抑圧されながらも、それでも生命を生命たらしめようとする存在理由(レーゾンデトゥール)そのもの。ヨシダさんにとっての『ちんちんの生えたルンバ』はまさにこの歌であり、「これが俺にとってのちんちんの生えたルンバだ!」というエネルギーこそが、この演目に魂を吹き込んでいるとともに、聴く側に「じゃあ自分にとってのちんちんの生えたルンバは」と考えさせるに至らしめているものだと思います。それについては冒頭の「日々を守るだけで/精一杯になった大人たちよ/僕についておいでよ/僕は今も夢を見てるよ/一緒に巨大な夢を語り合おうよ」という部分で丁寧に振っており、実に無理なく感情移入できるようになっています。最初のサビのラストの「この街で歌/歌い続ける」も、この歌がこのストリートミュージシャン(及びヨシダ in the sun)の個人的主張であることを改めて確定させるいい仕事をしています。

その後、ちんちんの生えたルンバのディテールについて軽く触れてから、さらに続く歌詞、「ちんちんの生えたルンバを作りたいという夢をあきらめ大人になった君たちよ」で、再度この歌をギャラリーひとりひとり自身のものとして認識させ直す、ここも丁寧な仕事。そして歌詞はさらに「僕だって本当のところは/ちんちんが6本生えたルンバ作りたい」と続きます。この歌詞も、先述の丁寧な仕事の数々によりちんちんの生えたルンバが自分の中でしっかりと定義づけられた後だと、6本をあきらめているということにも、深い共感を抱かざるえなくなってきます。そうだ。誰だってちんちんが6本生えたルンバをあきらめながら、それでいてなお、ちんちんの生えたルンバを走らせることもままならないまま生きているんだ。力強いメロディーと歌声を携えながらも、苦悩と挫折を滲ませながら疾走するヨシダ in the sunの姿に美しさを感じざるをえません。

そこから歌は各々のちんちんが6本生えたルンバ観に触れながら進み、緩急の『緩』に差し掛かり、以下のように歌われます。「ちんちんの生えたルンバを走らせることが/自粛されるようになって久しいけれど」。ここで一気に歌が2021年の色を帯びてきます。暗澹たるコロナ禍や加速する表現への規制、それらへの不安や鬱屈とした思いが静かに溢れだして心に染み込んで来るように感じます。さらに続く「そんなことで俺たちを止められると思うな/ちんちんの生えたルンバは止まらない」に、暗そうに見える未来に畏れを抱きながらも立ち向かう小さき勇者の姿(それはヨシダ in the sunであり、同時に自分自身)が浮かびます。ブレイクを入れながらの「止まらない」はやや誇張しすぎかもしれませんが、僕はこの部分で毎回鳥肌が立ちます。

その後の語り部分で未来への希望を吐き出しながら、それまでの歌で作り上げた世界観とメッセージにカタルシスを与えていき、高揚感に包まれたまま、一旦歌は終わります。そこから「お前らもそう思うだろ!?」という呼び掛けにギャラリーがリフレインで応える、ここもこれまでの丁寧な描写が生んだ強い共感があるからこそ、全く違和感なく、そりゃそうだ歌うよ、と思わせてくれます。

最後にヨシダ in the sunはこう叫びます。

「望む気持ちが俺たちの光だ!」

ちんちんの生えたルンバを走らせることができず、さらにのし掛かってくるありとあらゆる不安要素、それらに立ち向かうには『望む気持ち』というものはあまりにも心許ないものですが、それでも暗闇の未来を照らしてくれる『光』に他ならないと、演題である『ヨシダ in the sunが放ちうる最後の光』を最高の形で回収しながら、オーラスにボルテージを最高潮にして演目は終了します。圧巻の一言。

 

長々と書きましたが、紛れもなくこの歌は、ちんちんの生えたルンバを心の中で飼いながら2021年を生きる人たちにとっては今年を代表する歌となりうるものであり、少なくとも僕の中では今年のベストソングです。最初に挙げた名曲たちと同じように、この先もずっと聴き続けることになるでしょう。

 

とにかく今の気持ちを残しておきたくて、noteを書きました。

 

未来は、それを照らす光がある限り明るい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?