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備忘録 2024/3/11-3/17

3/13から突如として闇暗鬱々日記になります。闘病中の愛猫の容態が急変したためですが、自分で読み返してもどうかと思うほどウザさが激増ししておりますので、あらかじめご了承の上お進みください。
この記事を公開してよいものか悩んでいますが、その時々の自分の心境を正直に書きなぐったものなので、自分のための記録として残すことにします。
お立ち寄りくだすった方にご不快な思いをさせてしまったら本当にすみません。あとめちゃくちゃ長いです。

3/17追記
ペットの死に関する記述も出てきます。お辛い気持ちにさせてしまう方々もいらっしゃるかと思いますが、どうかご容赦ください。


3/11
週明けの朝は甥っ子たちの送迎があるので、張りきっていつもより早起き。来月から保育園最終学年となる甥っ子(兄者)は、私が到着するタイミングを見計らって玄関前で待ち構えており、しっかり登園のお支度をととのえた状態でドアを開けてくれた。
年が明けた頃は「さぶいしねむいしだりーしいきたくないでござる」モード全開だったというのに……成長速度鬼杉内。義妹ちゃんいわく、最終学年クラスのおにいさんへの意識を日々高めつつあり、弟はもちろん保育園のちびっこたちのお世話も積極的にこなしているそうだ。今からこんな男前ぶりを発揮していて、10年後にはいったいどうなってしまうのか。彼が一歩歩くたびに花が咲き虹がかかり大地は黄金色に輝きすれ違う老若男女全てを悩殺し辺りは歓喜にむせび泣く人々の嬌声で大混乱の坩堝と化しておめおめと外を歩けなくなってしまうのではないか。
甥っ子(弟者)も最近語彙の発達がめざましく、「(ウルトラマン)ブレーザー!」「ぴかち!(ピカチュウ)」「ぶどう!(大好物)」といった新しく覚えた言葉を誇らしげに連呼している。このペースならば私をして「ばっちゃさん」と呼んでくださるのも……時間の問題ッッッ…………!!

月末にこの春最初のヤマが待ち受けているため、日中はもくもくと業務に励む。

今日のお弁当
ささみフライ、ひじき煮付け、たくあんと浅漬け

終業後に暴れん坊将軍のお見舞いへ。肺の炎症の数値は落ち着きつつあるものの、肺炎そのものからの快復は長期戦になりそうだ。木曜に酸素ハウスが届いたらひとまず退院予定だが、果たして大人しく中に居てくれるだろうか……

晩ごはんはチキンカレーライス、レタスのサラダ、オニオンコンソメスープ。

結婚してから毎日の食事メニューを「ダイニングノート」というアプリで記録しているが、見返してみると約30日周期でカレーを作っているのが分かる。カレーって定期的に食べたくなりますよね。

入浴前にフィッボ(フィットボクシングっていちいち打つのがめんどくさくなった)50分、プランク体操。


3/12
朝から1日雨。蒸し暑い季節の雨は憂鬱になるが(汗かき大魔人のつらみ)、そうでない季節に静かに降る雨は結構好きだ。こういう日は部屋のすみっこでぢっと体育座りして日がな1日呑みながら本を読んでいたいなァーと思いつつ出勤。本日ももりもりと働く。

今日のお弁当
春巻(冷食)、きんぴらごぼう、かぶの浅漬けとたくあん

昨日の朝会った時は元気りんりんだった義妹ちゃんが体調不良とのことで、夕方は急きょ保育園のお迎えへ。どうやら高熱らしく、会社からマッハで帰宅した弟に甥っ子たちを託したらすぐ家に帰された。できれば色々お手伝いしたかったが、流行り病だった場合弟夫妻・私が同時に臥せると色々と詰んでしまうため、後ろ髪を引かれつつ帰宅。

晩ごはんは週末に仕込んでおいたお肉マシマシおでん、野菜スープ(白菜、ねぎ、えのき、もやし、ベーコン)、ごぼうとにんじんと鶏肉の炊き込みごはん。

おでんは大根と牛すじ、鶏もも、ウィンナー、さつまあげ、たまご。牛すじを煮るのが、というか牛すじのアク取りがすさまじく楽しかった。執拗にアク取りしたからスープも透明になったし、3時間くらい煮たのでお肉ホロホロになっていて大満足。
田楽味噌(市販品)の隣にあるのは、親友お手製のゆず胡椒。脳天に響き渡る辛さだが大変においしい。
親友は毎年ゆず胡椒を仕込んではおすそわけしてくれるのだが、「wknんちもブレンダーあるんだから作れるよ~作ってみなよ~取りかえっこしようよ~」と毎年誘われる。でも過去に彼女がゆず胡椒をブレンダーでガーしてる時に機械から煙がもうもうと上がる現場に遭遇したので、おそらく私は作らない。
夕食後に弟一家への差し入れとしてシチューを仕込み(キッズ向けにコーンたっぷり)、入浴前にフィッボ40分&プランク体操。健康維持モードのスピードに少しずつ慣れてきた気がする。


3/13
入院中のねこ、きじたろうの容態が急変してしまった。かなり悪い状態。昨日まで順調で、明日には酸素ハウス在室とはいえ退院予定だったので頭が全くついていかない。最悪の事態も覚悟しなければならないようだ。覚悟なんてできっこない。急すぎる。辛い。

でも今いちばん辛いのはきじ坊だ。どんなことになっても目も心も逸らさず傍にいて一緒に生きる、それが私の望みだし役目だ。あのこは出会った時だって危ない状態だった、でも立派に乗り越えて5歳になって立派なやんちゃ坊主になった。強くてがんばり屋さんだ。まだ希望は捨てなくていい。奇跡を信じる。絶対また元気になってやんちゃ坊主として私を振り回してくれる日々が来る。信じる。信じるから、神様どうかきじ坊を助けてください。


3/14
朝から快晴。ほぼ徹夜状態の脳に解像度の高い青空が眩しすぎる。私の大事な子が大変なことになっているのになんで空は今日もこんなに綺麗なんだ、と理不尽なブチギレクソデカ感情が襲ってくる。でも曇りでも雨でも雪でも嵐でもそれぞれ理由をこじつけてクソデカ感情に襲われるのだろう。
先週再開したばかりのnoteだが、思いを綴るという行為の鎮静作用効果を痛感する。自分の感情を言語化すると、パニックになった思考がほんの少し落ち着く。拙宅にお越しいただいた方々に鬱々とした文章を読ませてしまうのが申し訳ないが、今はどうか甘えさせてください。昨日のつぶやきに反応してくださった皆さま、本当にありがとうございます。

出勤。今日は元々きじ坊の退院のため午後から半休をもらっていたが、明日も休みたい旨をボスに相談する。理由も説明した。若い頃の自分なら「飼い猫の不調で休みたいなんて言ったらどう思われるか」等と怖じ気づいて話せなかっただろう。なぜならペットごときで馬鹿みたい、と動物と暮らしている人間に言い放つ人種がこの世には確かに存在しているし言われた経験もあるからです(ついでに言うとそいつは「ペット」ではなく「畜生」という言葉を使った)が、今はもうどう言われようと構うもんかい馬鹿で結構ですむしろ馬鹿上等でございます、と思える神経が備わっている。年を取るのってつくづく良いことだとこんな時思う。
ボスは嫌な顔ひとつせず休暇申請を快諾してくださり、お見舞的コメントこそなかったが、いつになく柔和な表情で私の目をまっすぐに見、微笑みながらうなずいてくれた。たったそれだけのやり取りが心に沁みた。ボス、ありがとうございます。

昼すぎに帰宅。もともと有休を取っていた夫がレンタルの酸素ハウスを受け取ってくれていたので、早速組み立てて設置。家族みんながよく集まる居間に置くことにした。

夕方、夫と共に病院へ。今朝お医者さまからいただいた電話(この先生はこまめに経過の連絡をしてくださる)では、昨日から容態に変化なしとのことだったが、午後になってわずかながら体調が上向いてきたらしい。今後の治療(毎日通院して点滴投薬処置)、精密検査のリスク等について説明を受けたのち、きじ坊を連れて帰宅。ケージから出した瞬間から手に頭をスリスリしまくってくるのを、心を鬼にして酸素ハウスへ移動させる。本当は膝に乗せたまま朝までモフり続けたい。

一昨日までは、前向きな気持ちでしかこの退院日のことを考えていなかった。「残り時間をどう過ごしてもらうか」を考慮しての退院になるだなんて思ってもみなかった。それでも彼が帰ってきてくれて本当にうれしい。


酸素ハウスに入れた直後
部屋を自由にうろつけないことに
完全に遺憾の意を示してらっしゃる


酸素ハウスに入ってからもしばらくは鳴いていたが、しばらくするとクッションの上に落ち着いてくれた。相変わらず呼吸が荒く、ゼイゼイと息づかいが聞き取れる。が、病院にいた時よりは調子が良さそうに見える……のは希望的観測からのひいき目か。


しばらくするとクッションの上に落ち着いてくれた

何もせずこのままずっと酸素ハウスに張り付いていたいが、そうもいかないので急いで晩ごはんの支度。今夜は簡単にもやし担々鍋にする。食欲がさっぱりないので味がよく分からない。
きじ坊はがんばって栄養食ちゅーるを1本半食べてくれた。よゐこすぎる。


3/15
連日寝不足だが全く眠くない。その代わりメンタルに順調に恐慌をきたしており、暗黒面が大噴出している。普段は「もーぅ、しょうがないな~」と思える夫のささいな行動(食べ終えた食器を流しに運ばない、寒いと言ってこたつから動かない、テレビの音量がややでかい、等の本当につまらない事案)がいちいち目について苛々する。この苛立ちの原因が彼の行動そのものではなく、「は?こういう状況で平常心運転てどういうこと?私がこんなに辛いのになんでもっと気を使ってくれないわけ???なんで私の気持ち察してくれないわけ???つーかなんで私と同じように嘆き悲しみ動揺してないわけ????!」という、平常時の自分が己の性質として最も嫌悪しているクソ構って察してクレクレ女メンタル版wknによるものなので、苛々しながらそういう自分に激しい自己嫌悪を覚え、どんどん気分が沈む。脳内でクソ構察クレクレ女版自分と、そんな自分が吐くほど不快で今すぐ斬って捨てたい侍版自分が大バトルしている。今朝も空はこんなにもうつくしいのに、私は醜悪そのものだ。天使のようなきじ坊が病に苦しんで、なぜ私には何も降りかからないのか。逆だろ。神、選択が逆だろうよ。苦しむべきは私だろうよ。

……ということを夫にぶつけこそしなかったものの、表情や態度は陰鬱そのものだったと思う。一人で不満を募らせ、しかし直接ぶつけることはせず、一人でじっとり沈んでいる女。最悪。最悪と思いながらも軌道修正すらできない。最悪の極み。

出勤する夫を見送ってからきじ坊の診察へ。病院は自宅から車で数分だが、その間は酸素ハウスから出さなければならず、呼吸がいっそう苦しげな様子に涙が出てくる。点滴と投薬をしていただき、マッハで帰宅してきじ坊を再び酸素ハウスへ。入ってしばらくすると呼吸も落ち着き、やがて眠った。眠っている時は多少呼吸も深くゆっくりになるが、このまま起きなかったら……等とどうしても考えてしまい涙が出てくる。
朝から何度もトライしたが、今日はちゅーるを全然食べない。すでに自分から皿のものを食べに行ける状態ではないので、指先に乗せて口まで運ぶのだが顔を背けられてしまう。ほんの半月前は、ちゅーる入れの蓋を開ける音だけですっ飛んできていたのに……とまた涙が出る。今いちばん辛い思いをしてる子の前で隙あらば涙を分泌している自分がつくづく嫌になる。クソ構察クレクレ女、泣き虫女、ネガティブ思考女、甘ったれ女。日ごろ封印していると思ってた自分の嫌なところが全店出血大サービス大売出し状態だ。せめて一店舗限定特別キャンペーンにしろ。それなら懲役百億万年で勘弁してやんよ。

そんな精神大恐慌の1日を過ごしていたのだが、

夜、とあるクリエイターさんの記事にものすごく気持ちを落ち着かせていただく。

最後の一節を読んだ時、煮えたぎっていた脳内に風速50メートル級の涼風(爆風ではなく涼風)が吹き抜ける感覚があり、クソ構察クレクレ女が瞬時に沈黙した。
みけこさん、こんな素晴らしい記事を発信してくださって、本当にありがとうございます。

夜からシリンジを使っての強制給餌を開始。何度かに分けてちゅーる2本をなんとか食べてくれた。強制給餌は食事そのものが苦痛になってしまうリスクがあるし、体力が低下している今のきじ坊に無理を強いることなので可能な限り避けたかったが、もう四の五の言ってられない。

今日もつぶやきや備忘録メモにお立ち寄りくださったり反応してくださる方々がいて、本当に本当にうれしくてありがたい。以前お馴染みにさせていただいていた方々も、こちとら半年以上放置していた不精者なのに、ちゃんと覚えていてくれて覗きに来てくださって、あたたかな気持ちを寄せてくださる。この街(note)に戻った直後にこんな事態になってしまったが、戻ってきて良かった。


3/16
今朝もいい天気。朝の寒さが日ごとに緩んできていて、春はもうすぐそこに来ているのが分かる。

昨夜、夫は酸素ハウスがある居間のこたつできじ坊に付き添いながら寝ていた。風邪とか腰痛めたりとかが心配だが(私はこたつ寝するといつもやらかす)、何度言っても「大丈夫」の一点張りなのでお任せすることにした。
昨日の朝は、きじ坊がこんな状態になっても普段と変わらないように見える夫に激しく苛立ちMG5(マヂでガチギレ5秒前)だったが、昨夜からそれが完全に沈静化している。自分と同じように狼狽えていないからといって夫がこの状況に苦しんでいない訳がないのだ。夫は夫のやり方で胸を痛め、きじ坊に慈しみと祈りの気持ちを注いでくれていて、辛い気持ちに耐えながら過ごしているのだ。それが私と違う形なのは当たり前なのに、そして夫がどれほどにやさしい人なのか知っているのに、昨日の朝の私は本当にどうかしていた。恥ずかしい。夫に対してお気持ち表明せずに脳内でキレ散らかしていたとはいえ、そういう感情に脳内煮えたぎり状態だった自分が本当に恥ずかしい。天井から逆さ吊りにして布団叩きでケツをしばき倒したのちに懲役二百億万年の刑に処したい。

朝の強制給餌でちゅーる半分を何とか食べてもらう。酸素ハウスから出すと呼吸が苦しそうなので、ハウス内で給餌するのだがこれが結構難しく、食欲もないのでなかなか口を開けてくれない。ごめんねと食べてくれてありがとうを繰り返す。
私を嫌いになっていい。私を憎んだっていい。今は生きるために食べてください、とお願いしながら食べてもらう。

週末のルーティン家事を済ませてから買い出しへ。いつもは夫と一緒だが、休みの日はなるべくどちらかがきじ坊の傍に居ることを決めたので、夫に託して私が出かける。上着が要らないほどあたたかい日だ。
帰宅してから再度給餌を試みるが、口許にちゅーるを近づけただけでゲエッと空嘔吐のようなものをするようになってしまい、呼吸もますます苦しそうなので無理強いはこれ以上できないな、と引き下がる。

食事が難しくなったことで、今までなるべく考えないようにしていた「残り時間」というものといよいよ向かい合わなければならなくなった。願掛けのつもりで極力思考から排除していたが、もう避けられない現実としてすぐ目の前にあるのだろう。

きじたろうに残された時間があとわずかならば、
(もちろんまだ回復へと向かう奇跡を諦めるつもりはないが)
それでも残り時間わずかという現実が可能性として高いならば、もう私にできることもやりたいことも決まっている。きじたろうの苦痛を少しでも減らし、穏やかに平穏にリラックスして過ごしてもらう。そのために最大限動く。それだけだ。

夫ともそんなことをぽつぽつと話し合う。話し合うというかほぼ私だけが喋っており、夫は「うん」か「そうだな」か「いいよ」しか言わない。
いつもと変わらないように思っていたが、いつも以上に口数が減っており、しかもその少ない言葉は全て私の気持ちを受け入れる言葉しか発していない、ということに今さらながら気づく。

夕方は病院へ。自宅から車で5分程度の移動だが、その間は酸素ハウスから出てもらわねばならない。昼から調子が悪くなったので不安だったが、案の定口を開けて呼吸をするようになってしまった。ねこの口呼吸はかなりアカン状態なので5分が永遠に思えてくる。到着するなり駆け込み(何も言わない内に無言で車を入口真ん前に横付けしてくれた夫、感謝しかない)、すぐに酸素室に入れてもらう。
お医者さまからも「これはいよいよ……」というお話があり、今後は極力負担を減らすべく、自宅での往診治療に切り替えることにした。平日は私が仕事を中抜けして対応する必要があるが、勤務先も自宅から近いので何とかなるだろう。

夜、弟一家がお見舞いに来てくれた。甥っ子(兄者)が「きじ、がんばって!」と酸素ハウス越しに何度も呼び掛けてくれる中、もう一人の甥っ子(弟者・1ちゃい)は我が家の家長であり最年長ねこ・しまさんの尻尾をふにふにしてニヤリ……とほくそ笑む遊びに没頭していた。おばちゃん&おじちゃん、泣き笑い不可避。


私のアイコンにもなっている家長・しまじろう(横綱)

弟は「どういうことになっても、お姉ちゃんが決めたことがきじにとって一番うれしいことだよ」と言ってくれた。幾つになっても守ってやらねばならぬ小さな弟だと思っていたのに、すっかり大きく頼もしくなっちまって……
流行り病から回復したばかりの義妹ちゃんも、きじ坊をたくさん励ましてくれた上、私にも涙目になりつつあたたかい言葉(お姉さん……ほんとにどうか無理しないで……的な)をかけてくれた。
亡き両親が私に与えてくれた弟たちが可愛すぎるせいで私は立派な姉馬鹿に成長したが、その可愛い弟の片方が選んだ女性があまりにも優しく可愛く素晴らしいせいで義姉馬鹿にもなり、その素晴らしい義妹ちゃんとの間に天使のような甥っ子たちが生まれたせいで叔母馬鹿にもなった。私が天寿を全うした暁には「妻馬鹿・姉馬鹿・義姉馬鹿・叔母馬鹿・飼い主馬鹿上等」と墓標に刻んでもらいたい。長すぎるので妻姉義姉叔母飼主馬鹿でもいい。

昨日メンタルが暗黒面に墜ちていたとは思えないくらい、今日は心が凪のように静かだった。

夫は今夜もきじ坊と一緒に寝てくれるそうだ。私も一緒にいたいが、今風邪ひいたり腰を痛めたりする訳にはいかないので、すぐ隣室の布団で休ませてもらうことにした。


3/17
明け方の5時40分、きじたろうが息を引き取った。

昨夜まで、相当苦しいだろうに声ひとず立てず静かにがんばっていたきじ坊が、明け方大きなうめき声をあげた。飛び起きて隣室へ行くと、ほぼ同時に飛び起きたらしい夫が酸素ハウスを抱くようにして「きじ坊、きじ坊!」と呼び掛けていた。今までで最大級に苦しそうな咳をしていて、痰だろうか、何かを吐き出そうと足を踏ん張っていた。小窓から手を突っ込んで背中を撫でたが、あまりに苦しそうなので咄嗟に酸素ハウスから出して抱きかかえて背中をさすった。ぶるっと全身を震わせて、大きく息を吐き出したのち、そのまま私と夫の腕の中で動かなくなった。それが最期だった。

きじ坊が体調を崩してからもずっと泰然としていた夫が子供のような声で泣きだした。きじ坊を間に挟んだまま、2人を抱きしめて私も泣いた。

とうとう逝ってしまった。まだたったの5歳なのに。夫と息子殿という家族ができて、にぎやかな暮らしになってまだ10ヶ月なのに。半月前まであんなに元気だったのに。腕の中の体はこんなにもやわらかく、まだあたたかいのに、もう動かないことが信じられない。

夫が泣くところは今まで何度か見ているが、こんな風に子供みたいにわんわん泣くところは初めて見た。この数日間、いつも通りの表情の下でこの人はどれだけの感情を抱えていたのだろうと思うとたまらなくなった。

ひとしきり泣いてから、夫と一緒にきじ坊の見開いた目を閉じてやったり、顔や身体を拭き清めたりし(その間も夫はずっと泣いていた)、新しいシーツを敷いたクッションの上に寝かせ、毛並みをととのえた。この半月でずいぶん痩せてしまったが、毛並みは元気だった頃とほとんど変わらない。今にも呼吸を始めて起き上がりそうに見えた。

日が高くなるまでずっと2人できじ坊を撫でていた。

そこから先の今日の自分たちはほとんど無意識のうちに動いていた気がする。弟一家や親友に連絡し、午後から往診予定だったお医者さまに連絡し、酸素ハウスの返却のための連絡をし、きじ坊の身体を納める箱を買い、花を買い、葬儀のための連絡をし、保冷剤と共にきじ坊を箱に納めて花を備えた。

葬儀は20日の午前中に決まった。

それらを夫とこなした後、夫が「きじをひなたぼっこさせてやりたい。きじはお日さま大好きだったから」と言ってくれたので、きじ坊を連れて庭に出た。交互にきじ坊を抱っこしながらすっかり高くなった太陽をしばらく見ていた。
今日のお日さまは、彼が大好きだったあたたかさとやわらかさに満ちていた。

大事な子を喪ったばかりの私たちの前で、春の空はどこまでもうつくしく、日差しはどこまでもやさしいことがありがたかった。

自分を家族同様に可愛がってくれた弟一家が会いに来てくれた日の翌日で、
仕事で私たちが家を空けなければならなくなる日の前日で、
春らしい穏やかさに満ちた日。
そういう日を選んでくれたんだな、と思うのはあまりに独りよがりなのだろうが、私はそうだと思っている。

今これを書いているのは日付変更間際で、当然気持ちの整理なんぞ全くできておらず、脳内はひたすら哀しいと苦しいと辛いが渦巻いている状態だが、それらのどんな感情より強い想いがある。

きじたろう、本当にありがとう。出会ってから5年半、君と一緒に暮らせて本当に幸せでした。これからもきっとずっと幸せだと思う。思い出して泣いたり苦しかったりする時もあるだろうけど、それでも幸せだと思う。だってきじ坊に出会った後だからね。

明日以降は日常業務に戻りつつ、きじ坊が与えてくれた最後のおつとめであるお見送り、背筋を伸ばして臨もうと思います。

長文乱文にも関わらず、ここまでお付き合いいただきましてありがとうございます。

いただいたサポートは、外で暮らすねこさんたちの生活が少しでもよきものとなるよう、関係団体に送らせていただきます。