白鵬と五輪書 序ノ壱
筆者が白鵬の取り口に通じるものとして五輪書を意識し始めたのはいつ頃だったろう。幾つかの記事や伝聞によって、白鵬本人がこの書を愛読しているという情報に触れたことはあったと思うが、具体的な接続度合いに関心を抱くようになったキッカケが2016年5月に放送された「100分de名著(Eテレ)」という番組であったことは間違いない。
ここで取り上げられた技法の中に、思わず「白鵬やん、これ!」と叫ばずにはいられない代物があったのだ。
連載の冒頭にあたり、まずは当該箇所の提示から始めていくこととしよう。本来は同番組を担当した魚住孝至氏による現代語訳を紹介すべきなのだが、偶然古書店で神子侃訳(徳間書店 1963年刊行)を手に入れたので、今回はこちらを用いて記載していくこととする。
一 敵を打に一拍子の打の事
一 敵を打に一拍子の打の事
敵を打拍子に 、一拍子といひて、敵我あたるほどのくらいを得て、敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、いかにもはやく直ぐに打拍子也 。敵の太刀 、ひかん 、はづさん 、うたん と思心のなきうちを打拍子、是一拍子也 。此拍子能ならひ得て、間の拍子をはやく打事鍛錬すべし。
【訳】敵の虚をついて一気に打つ
敵を打つのに、一拍子の打ちといって、敵と我とが打ちあえるほどの位置をしめて、敵がまだ判断の定まっていないところを見ぬき、自分の身を動かさず、心もそのままに、すばやく一気に打つ拍子がある。
敵が太刀を、引こう、打とうなどと思う心がきまらぬうちに打つ拍子が、一拍子である。
この拍子をよく習得し、きわめて早い間で、すばやく打つことを鍛錬せよ。
(宮本武蔵「五輪書」 神子侃訳 徳間書店 99頁)
一 二のこしの拍子の事
一 二のこしの拍子の事
二のこしの拍子 、我打ださんとする時、敵はやく引、はやくはりのくるやうなる時は、我打とみせて、敵のはりてたるむ所を打、打是二のこしの打也 。此書付計にては中々打得がたかるべし。おしへうけては、忽合点のゆく所也。
【訳】敵をたじろがせてから打つ
「二の腰の拍子」というのは、自分が打ち出そうとしたせつな、敵の方がより早く退いたようなときは、まず打つとみせ、敵が一時緊張したあとたるみが出たところを、つづいてすかさず打つのである。これが二の腰の打ちである。
この書物だけでは、なかなか打つことができないであろうが、教えをうければ、たちまち合点のいくところである。
(宮本武蔵「五輪書」 神子侃訳 徳間書店 100頁)
上記2つの方法は、具体的な鍛錬法について記されている「水の巻」からの引用だが、ここに書かれている内容が、横綱後期の白鵬に多く見られた立ち合いの駆け引き具合に酷似するのである。
敵の虚をついて一気に打つ
「敵を打に一拍子の打の事(敵の虚をついて一気に打つ)」というのは、つまり突っ掛け気味の立ち合いである。(時には手を十分に下ろすことなく)相手が予期していない呼吸で立つことによって腰を崩し、一気に勝負をつけようとする。
傍目には「(相手力士が)待ったをすればいいのに・・・」と思うのだけど、最初の仕切りで既に不成立があるなどして、ちょうど判断力の鈍っているところを突っ掛けられると、ついつい立たされてしまい、ろくに相撲を取らせてもらえない、悔いの残る結果となってしまうのだろう。
敵をたじろがせてから打つ
「二のこしの拍子の事(敵をたじろがせてから打つ)」というのは、「拍子の逆を行く」という戦法の代表的なもので、白鵬がきわめて得意とする立ちである。
出るぞと見せておいて行かず、「たるみ」の出た相手が重心をかかとに寄せた瞬間を逃さず突いていく、あるいは、つま先重心になり、ふわっと立ってしまったところへ合わせていく。
いずれにせよ、「拍子の逆を行って」相手の一番イヤな呼吸で立てるのが、白鵬という横綱の大きな強みであった。
では、こうした強み、相手を出し抜く一級の戦術眼はいかなる鍛錬をもって磨き上げられるのだろう。次回、武蔵が提唱する「観の目・見の目」という視点から掘り下げていくこととしよう。
※当連載では、大相撲の原理原則(ex.立ち合いは相手と呼吸を合わせる)を一旦隅に置き、「五輪書」の具体的な提示の中から稀代の「兵法家」白鵬が勝ちに燃やした執念と技法を見出しつつ、横綱後期白鵬の追い求めた境地にできる限り迫っていきたいと思っています。
全10回とかそれくらいになると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
また、note開始にあたり、まずは使い方に慣れるため、今連載は筆者が運営しているブログで書いているものと殆ど同じ内容にしています。
11月場所中か同場所後からは、オリジナルの記事もスタートさせるつもりなのでお楽しみに!
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