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山でレコードを拾った。

 誰でもレコードを拾ったことがあるだろう。
 いや、「誰でも」というのは、いま、この「レコード手帖」を読んでいるような人たちのことで、レコードに興味がない人は、道にレコードが落ちていても特に気にすることはないから、たぶん拾うこともない。じつはレコードは、けっこういろんなところに落ちている。そしてレコードが好きな人は、だいたいどこかでレコードを拾うものだ。ところが、先日、とても意外な場所でレコードを拾った。

 私は山登りや渓流釣りによく行くのだけど、とある山岳渓流でフライロッドを振っていたときに、レコード盤が裸で落ちているのを見つけた。そこは標高もかなりあって、クルマが入れる場所からもかなり歩く必要がある。こんな山奥までポータブル・プレイヤー持参でピクニックをしに来る人もいないし、そもそも空き缶のたぐいもほとんど見かけない。人が来ないのもあるけど、登山客や釣り人はゴミを捨てないのが信条のはず。そんな、人工物のまったくない場所に1枚のレコード。あまりにも場違いというか、まず見かけない場所で見たせいか、一瞬「それ」が何なのかわからなかった。声が聞こえないくらい激しい渓流の流れの真ん中に立ったまま、岩陰にあった12インチの黒い円盤を手に取ってみた。レーベルの部分は汚れて文字は何も読み取れなかったし、盤にもかなり傷が見てとれたが、反っても割れてもいなかった。そのまま放置するわけにもいかないので、とりあえずざっと洗ってバックパックに無造作にしまった。その日の晩は近くにテントを張って寝たのだが、釣った岩魚を捌くまな板になったり、夕食の際のテーブル代わりになって案外便利だなこれ…とか思っていた。いくらレコードが好きとはいえ、その黒い塊はほとんどゴミ同然だったし、その時は途中でどこかに捨ててしまおうと思っていたのだ。

 ところが夜になって寝袋に入って眠ろうとすると、レコードのことばかり考えていた。あれは何のレコードなんだろう? 再生はできるだろうか? レーベル面をもう一度よく見てみようか…。溝の数を見る限りアルバムだと思う。いや、そもそもこんな場所に、誰がいったいどんな理由でレコードを持ち込んだのか…?
 結局、レコードのことを考えながら、そのまま家に持ち帰った。どんな音が出てくるのか気になって仕方がなかったから。それは自分が知っているような種類の音楽だろうか。どこの国のレコードだろうか。あのレコードが電気すら通っていない山岳に運ばれてきたのには、何か理由があるのかもしれない。もしかしたら異世界からのメッセージが……

 帰ってくると、まっさきにレコードを洗浄して、念のためカートリッジをダメになりかけているほうに取り替えて、ドキドキしながら、そっと針を乗せた。たぶん、33回転で合っていると思う。
 果たして、スピーカーから聞こえてきた音は、「ザーーーーーーー」というノイズだけであった。うっすら何かリズムのような、メロディのようなものが鳴っている気はするのだが、ザーーーーーにかき消されてまったくわからない。そして途中ですぐ針が飛んで、そのまま盤面をズズーーっと滑っていってしまう。AB面とも(どちらがA面かB面かわからなかったけど)、何度どの位置から針を乗せても同じことだった。がっかりしながらも、そのノイズをしばらく聴いているうちに、なんだかどこかで聞いたことのある音のような気がしてきた。これはどこで聞いた音だったのだろう……。
 すると、ふっとある光景が脳裏に浮かんで来た。なるほど。私はひとりニヤニヤしながらレコードの針を戻した。


 それはあのレコードを拾った渓流を激しく流れる水の音だった。


※初出 READYMADE VIC「レコード手帖」




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