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⛪ 洗礼者ヨハネという人物 ⛪

2023,12,10  マルコ1:1-8ヨハネ1:19-28

☀F.B.マイアーの言葉

洗礼者ヨハネの先ぶれがイエス・キリストの伝道の働きに先だつ。いつもそうである。

まず変えられた心・意志の態度(悔い改め)が第一であり、それから信仰である。洗礼者ヨハネの偉大さは、その謙遜の中に表れている。ヨハネは、私たちがどうしても知らなければならないこと、すなわち、水によって示される消極的な宗教ではなく、火(聖霊)によって燃やされる必要があることを知っていたのである。

☀マルティン・ルターの言葉

彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。」(ヨハネ1:8)

私は洗礼者ヨハネを押しのけるどころか、尊敬し、高く評価します。しかし同時に、彼とその働き、生涯と、彼のあかししたキリストとの間に明確な区別をつけなければなりません。ヨハネは、どこまでもしもべであって、主ではありません。まことの光を指し示し、そこへ導きますが、光そのものではないのです。彼の働きはすべての預言者のわざにまさって気高く、偉大なものです。それは、主が遅かれ早かれやって来られることを預言したのではなく、「見よ、これぞ、その方」とキリストご自身を指したからです。

ですから、私はそのわざを高く評価し、愛する私たちの父がこのように忠実なあかし人を与えてくださったことを感謝するのです。彼の口と指は祝福され、私たちの前に、まことの光をあかししました。そして、私たちもその光に照らされ、心が永遠に輝くようにと、そこへ導くのです。見よ、この人こそ、神の小羊、救い主である主イエス・キリストを指し示す人です。

☀由木康(1896-1985鳥取県出身の牧師)の賛美歌

まぶねのなかに うぶごえあげ たくみの家にひととなりて

貧しきうれい生くるなやみ つぶさになめし この人を見よ

食するひまも うちわすれて しいたげられし ひとをたずね

友なきものの 友となりて こころくだきし この人を見よ

すべてのものをああたえしすえ 死のほかなにもむくいられで

十字架のうえに あげられつつ 敵をゆるしし この人を見よ

教会の暦は今日から新しい年・待降節になります。マルコの福音書を中心に礼拝が続けられます。

 

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