見出し画像

どうしても先に「答え」を見ることができない生徒たち

こんなことがありました

 学校の課題を解く生徒の様子を見ていると、解くときに途中で答えを見ることを極端に嫌う生徒がいます。

 難易度の高い問題や、現時点では到底解くことが難しい問題でも、ずっと問題とにらめっこしていて一向に進みません。

「これは今は答えを読んでおいて、別のこれとこれをしっかり確認していこう」

そう言って、しばらく経って行ってみると、まだそのまま何かを書くわけでもなく調べるわけでもなくただ首をかしげています。

 そして理由を聞くと、はっきり答えはしませんが、どうやら解説を先に見ることが「大変悪いこと」だと思い込んでいるようです。

 現時点で難易度が高い問題を解説しても、混乱するだけでその生徒のためには決してならないので、私たちはそういう問題には解説を敢えてしないようにしています。

 そして「君の勉強の目的は何か考えてみて」と私は言います。すると生徒はいぶかしげに私を見返しつつ「成績を上げること」だと言います。

「じゃあ点数を取って成績を上げるには、どうしたらいい?」

「問題が解けるようになることが必要だよね。こんな問題は答えを見てしまってその分、別の確実にできそうな問題をたくさん早く解けるようになるんだったら、その方が合理的じゃないか?」

そんな風に申し向けると一旦は「はい」と言いますが、やはり一旦解いたという形でないと気が済まないらしく、さらにまた長考に入ってしまいました。

答えを見るのは「悪いこと」?

 スイスイと解けていて、自分の力試しをしようとするような場面では答えを敢えて見ずに解くのもいいかもしれません。

 しかし、まだ単元の内容がよくわからないときに、独力で「とにかくやってみる」「一通り解くまで答えは見ない」というのは、非常に無駄があります。

 たとえば数学では、解法を暗記して自分のものにしていくことがまず重要です。解法がまだよくわからないうちに問題を手探りで解いていくのは、見た目には真面目に自分の頭で考えてやっているように見えますが、実は地図を持たないでウロウロしているのと同じです。

「答えを見てはいけない」というのは、一見正しいことを言っているように見えますが、実は効率よく学習を進めていくためには、最も不要な考え方です。

 すべての問題集において最初に答えを読んでしまって、それから問題を解くぐらいのやり方でも良いと思います。

悩みつつわからない問題を時間ばかりかけて解き→ことごとく間違い→また一から解説を読む。そんなやり方と比べたら、解答を読みやり方をざっと見て→実際に解き→チェックする方が、時間は半分以下で実質内容を二倍以上勉強できることになるからです。

 しかし、解答を見て学習をするということが「悪いこと」と思っている生徒は、実は結構たくさんいます。皆何となくですが「ずるい」やり方だと思っているようです。

もちろん、隣の生徒の解答を見たり、テストの際に解答を見たりするのはまずいですが、自分で勉強する際に、解答を確認しながら間違いを正しいやり方に改善していくのは決して何も悪いことではありません。 

大事なことは何か

 要領のよい学習ができる生徒は、まず自分で解答を確認しながら問題を解いていき、解答を読んでもよくわからないところを教師に質問してきます。そしてその後でもう一度心配なところだけ解答を見ずに解くということをしたりしています。 

 これに対して、途中で解答を読まない生徒は、「見ながら確認して進めなさい」と指示しても、いつまでも問題とにらめっこしていて、まちがったやり方のままどんどん問題を進めていきます。

 頑なに解答を見ようとしないので、途中でやり方がわからなくなっても、さらに自分流で解答をしようとして、遂には混乱してしまいます。

その後、最後に答え合わせをして、どれも✕になることに気づき頭を抱えます。それからようやく解答を見ていきますが、解答を確認しないで進めた時間の分だけ余分に時間を使ってしまっていることになります。
その様子は、実際上記に書いた通りなのです。

 ウソと思われるかもしれませんが、これは本当によくあることです。やり方に問題がある場合には、やはり自分ではなかなか直せないものなのだと思います。  

 このようなやり方をしている生徒は、目的と手段が入れ替わっていると言ってよいのかもしれません。
けれども、学校の課題が「〇〇ページを済ませてくる」という形式である限り、こういう事態はなくならないのではないでしょうか。

「この範囲の問題を解けるようにしてくる」というような結果主義の課題の出し方をすれば、おそらくこういう形だけの学習は止むと思うのですが、不公平になると思っているのかなかなかそうはいかないようです。

 本来究極的には「できるようになる」ことが学習の一番の目的で大事な事なのだと思いますが、学校では「毎日コツコツやる習慣をつける」というような本来そのための手段になること自体を得点化しないといけないので、それを優先しすぎた結果、こういうやり方にこだわってしまう生徒も多くなってしまうのかも知れません。

中学では何とかなっても高校数学では大変なことになる

 解答を見ないというこだわりをもっている生徒は、中学ではそれでもまだ何とかなります。課題をやるのに時間がかかりすぎて提出に間に合わなかったり、夜中まで勉強しないと課題が出せなくなる一因となるくらいでしょう。

 しかし高校数学の学習では、大変なことになってしまうことが多いです。

学習のスピードや量が格段に違ってくるので、1つ1つ時間をかけて、解法がわからないまま解いていたりすると、到底時間が足りなくなります。

 よく高校に入学しても「難しくて高校の勉強についていけない」という方がいますが、私は多くの場合、難しくてついていけないというよりも、スピードと量に圧倒されるだけではないかと思っています。

 そしてその原因になるのが、学習の効率の悪さです。その中でも一番多い事例が、実は「解答を見ない」というものなのです。

 高1の生徒に多く見られますが、詳細な解説がある解説書を持っているのに、それを見ずに延々と時間をかけて問題を解いています。それを見ていると、いくら時間があっても無理じゃないかなと思うことがよくあります。

 高校数学では、詳細な解説書があってもその行間に省略されている式や計算がわからず、生徒から一番質問を受けるのはその部分なのですが、解説を読んで確認していかなければ、時間切れでその部分までさえたどり着けないこともあります。大変な遠回りです。

 ですから、早い段階で自分のやり方は時間を無駄にしていないかを振り返って考えて見る必要があります。

「教えてもらう」ことが勉強ではありません。自分で考えて「できるようになる」という目的を達成するのが勉強です。そのためであればいろんな手を考えて工夫をしていくべきなのです。

改善の方法

 「解答を見ない」という生徒の方針は、普通は学校の方針にも合致していて一般には「良いこと」と評されるため、なかなかそれが学習の非効率化につながっていると気づくことができません。

だからよほど改善は難しく、上記のように高校に進学して自分自身で「なぜ、こんなに時間をかけても一向に学校の課題さえ終わらないんだろう」と気づくのを待たないと解決しないようなこともあります。

 しかしこの生徒の例で言えば、最初から解答を読ませるという方法を「騙されたと思ってやってみて」と言って何回かやるようにしてみたら、意外にも時間がかからず楽だということがわかったからか、その後やり方を変えることができました。

応用問題だけで「解答を見るようにして」と言うのではなく、最初から解答を全部読ませるやり方は、何か新しい学習をやっているような気がして楽しかったのかも知れません。

 大体において合理的な方法は、楽で楽しい上に効率も良かったりするものです。それを阻んでいるのは多くの場合、先入観や学校の先生の言うローカルな「きまり」であったり、保護者の方のお叱りであったりします。

 だとすると、生徒の学習を合理的にして生徒自身を楽にしてあげられるかどうかは、周りの人たちの姿勢や意識にかかっているという見方もできるかもしれません。

どうか生徒自身のためにも、無駄をしないで済む方法をアドバイスしてあげてください。物事は結果だけではありませんが、過程や形式ばかり重視しすぎて苦しんでいる生徒が多すぎる気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?