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「正解」を偶然で出せると考える子どもたち

こんなことがありました。

 生徒を教えていると、時に驚くほど速く問題を解く生徒がいます。

集中力が極めて高くて、その結果速く解いてしまうという事もあるのですが、むしろそれは例外で、多くの場合は、「速い」→「間違いだらけ」→「間違いを直さないで次へ進む」というような感じのやり方をしていたりします。

 なぜそんなことになるのかあれこれ考えてみると、どうも彼らは「問題を解くことを、ゲームのような感覚でとらえているのではないか」という結論に到達しました。「できたらラッキー」「どんどん先へ進みたい」「またやろう」という感覚です。

無論、やり直しや間違いの原因にさかのぼって丁寧に復習をするということは、なかなかできません。「『正解』は偶然で出せる」とでも考えているかのようです。

 しかしもし正答率が、そんな偶然のような確率的なものだけを背景にしたものであるならば、大雑把に考えて2回に1回は間違いとなり、得点化すればいつも50点程度になってしまうのは、当然と言えば当然でしょう。大変まずいやり方です。

学習の精度

 日々生徒が問題を解くのを見ていると、「雑だな」「荒っぽいな」と思うことはよくあります。

問題をしっかり読まないで、思い込みですぐ解答をしてしまう生徒。
途中式を書かないで、出ている数字を適当に組み合わせて暗算だけで答えている生徒。
流れ作業のようによく考えもせず、フィーリングで次々に誤った答えを書いている生徒。
 いろんな局面で、そういう解答のやり方をしている生徒がいます。

「なぜなのか?」私は大変疑問に思っていました。そんなやり方で正解が出るはずがないのに、繰り返す理由はどこにあるのかと思ったからです。これは第三者の眼で見ると、極めて当たり前の感想ではないかと思います。

 もちろんほとんどの場合、彼らは無意識にそれをやっています。だから、やり方を変えるようにアドバイスをしますが、なかなか変わらないのが現実です。

こういうやり方が、「習慣」になってしまっているということも大きいのですが、一番の背景に本人の意識の問題がある気がします。学習というものに対して本人が設定している「精度」が大変低いということではないかと思うのです。

「この位で正解だろう」という見積もり


 こういうやり方の悪さを抱えてしまっている生徒に共通の意識として、「この位で正解だろう」という見積もりの甘さがあります。

 たぶんたまたまマルをもらって、それが自信のもとになってこういう見積もりをしてしまっているのですが、その自信には客観的な裏付けが全くありません。

問題文はしっかり読まないと、多くの場合勘違いが起こる。

少しの表現の違いによって解答は大きく異なる。

計算は少しの間違いで解答が全く違ってしまう。

精密に計算過程を確認するには途中式がどうしても必要。

人の判断は、書くことを通さないと不正確になることがある。

暗記した事項を再現するには、手がかりを思い出した上で自分の記憶の再現が必要となる。自動的に出てくるものではない。

記憶再現は一瞬にはできないことがある…

 このように正確に解答をするために必要になる意識や知っておくべき情報は、実はたくさんあります。

 こういう生徒は、このことを実質的に知らない、あるいは知っていても無視しているということに問題があります。

 この問題を解決するにはまず、自分の学習に対する「精度」が低いということに気づかなくてはいけません。それに気づかないうちは何時までも、「一生懸命にやっているのに結果が出ない」「おかしい」ということを言い続けることになります。

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対策は簡単 

 ではどうしたらいいかということになりますが、実はこういう場合は対策自体は意外に簡単です。自分の意識を変えればいいだけです。

「自分のやり方では正解は出ないかも知れない」という疑いを、学習するときにしっかり持つだけで状況を変えることができます。

 学習の精度が低い最大の理由は、自己の学習精度に対する根拠のない自信です。その自信を持たないようにすれば、精度は自由に変えることができます。

 精度を変えればやることも自然と変わってきます。音や量などを計測する計器のことを一般にレベルメーターと言い、たとえば音量計などはその一種ですが、自分の学習の精度を測るレベルメーターを頭の中に想定して、その目盛りを意識の中でググっと上げればいいのです。

 普段の生活に置き換えて言えば、用心深さ」と言ってもいいかもしれません。

 学習の精度が想定されているレベルに合っていないでミスをする場合とは、「ぼーっとして歩いていたらドアにぶつかった」といった感じでしょうか。まず気をつけることが先決です。

 何もドアを上手に開けるテクニックが高度なわけではありません。注意をしないで正答できないのを悩んでいるのは、気をつけずに毎回頭をぶつけて「おかしい。なぜだろう。ドアを上手く開けられない」と言っているのと同じなのです。

どうやって克服したか。

 簡単とは書きましたが、具体的に意識を変えるのには少し工夫が必要です。

 雑なやり方、答えを早く求めてしまうやり方の生徒の学習の仕方を軌道修正するには、自分自身が「このやり方だとまた間違えるかな」という事を気づかせるのが一番重要です。気づきさえすれば状況は変わっていくでしょう。

 私たちの経験上それには、わざと逆のことをして気づかせるのが割と効果的だと思います。

 速く解く生徒には、「もっと速く解く」ように促し時間で切って正答率を示します。すると生徒は当然「こんな短い時間ではできない」と言います。

 そこで逆に「先生から見るといつも君の解いている時間は、今君が感じているくらい短いよ」と説明したりします。

 そして何回も短い時間でやってみると、そのうち「丁寧に解きたい」と思うように必ずなります。そうしたら「できるだけゆっくり解いて全問正解ににしてみて」というように持ち掛けるのです。スピードの違いが正答率に関係があることを身をもって気づかせるには良い方法です。

 あるいはたとえば、雑にやっている生徒に「このページを全問正解にしたら今日の勉強は終了にする」と言ってテストをします。

生徒は丁寧にやろうとしますが、いつもの癖でなかなか精密には正解しません。定着度の度合いにもよりますが、雑に解く癖と言うのは本当に根強いもので、割と英語ができる生徒でも、単純な単語ばかりの英語のワーク1ページを全くミスなく正答するのも難しいようです。

これは暗記力と言うよりも、精密さの点で満点を取れないという事が多い気がします。だから雑にやっている生徒が全問正解を達成するのは、実はかなり至難の業なのです。

 実際にこのやり方をした結果として勉強が早く終わった試しはなく、やってもやっても全問正解できず、「ここで間違え、こちらができたと思ったら別のところをミスして…」という感じで、時間が延びても全然達成できず大変なことになる場合の方が多いのです。

 しかしこのやり方をやると、生徒は自分のうっかりミスの多さにショックを受けることができるので、大胆に軌道修正するには実に良い方法ではあります。逆に落ち込んでしまうこともある荒療治なので、あまりいつもやるのはお勧めできませんが、苦い薬としての効果は保証します。

 学習の成果が思うように上がらないのには、必ず理由があります。

その理由は、単に勉強不足や学習量が足りないという事ももちろんありますが、実はそういった事以外にある事が多いと思います。

 私たちが思っている以上に、学習のやり方の悪さと言うものはダイレクトに結果を阻害しているものです。

 そしてそれは、周りにいつも言われ続けているのに、自分では決して大きな問題と思っていない事が多いような気がします。そのことを見えれば、これはまさに「意識の問題」なのだと思います。

 だとすれば、学習量を増やしたり、「根性」「努力」と言った貼り紙を壁に貼る(今時あまりいませんかね?)よりも前に、「何が結果を妨げているか」をしっかり見つめ直すことが一番重要なのだと思います。




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