身につまされたXポストのこと
たまたまXを見ていて流れて来たポストにハッとさせられました。
イシゲスズコさんがリプライされている方のポストも、イシゲさんのポストを見る前に流れてきて、「ああ、苦しんでるなあ」と気になっていて、その後イシゲさんの上記のポストを見て、「ああ、確かになぁ」と感じました。
私もよくやるやつです。育児経験者なら大抵ある感覚ではないかと思います。
赤ちゃんがが泣いた時、親は、とにかく泣いている原因を探して、おむつなのか、ミルクなのか、眠いのか、どこか痛いのか、その原因を解消して泣き止ませるためのアクションを取ります。
赤ちゃんには、自分で解決することができないから、保育者として当然の行動です。
でも、赤ちゃんはやがて成長し、自分の不調を自分で解決できるようになってきます。親は子供の成長に合わせて、手を出すところを徐々に減らしていく必要がありますが、その見極めがすごく難しい。
子どもが中学生でも、高校生でも、子どもが何か困っていると思ったら、ついどうやったら解決できるか、解決モードに入ってしまいます。
それどころか、子どもが困っている、何か不快感があると感じると、自分のせいなのかという罪悪感、自分が責められているような感覚すら覚えて、それを解消してあげないとまずいという気持ちになったりもします。
イシゲさんの言う通り、成長した子どもはもっと複雑な感情や思考を持ち合わせていて、何かネガティブな感情があった時に、それを解決してほしいということではなく、ただ聞いて欲しいということもあると思います。
だから、親は意識的に頭を切り替えて、自分が解決するのではなく、子どもが今そうなんだなと一旦立ち止まってみることが有用なのではないかと思います。これは子どものためでもあり、親のためにも心が安らぐ考え方です。
私も、娘が機嫌が悪く、私に文句を言ってくると、反射的に反発や怒り、面倒だなという思いが沸くのですが、それは、私が対処しないといけない私の問題だと感じてしまうからなんですよね。だから、意識できるときには、切り替えて、ただ娘の思いを受け止めるように心がけています(自分が不調だと、なかなかそうできないこともあります)
娘が不機嫌なことに巻き込まれない。娘の文句に対応するかどうかは、私が決める(娘に言われたらやらなければならないわけではない)。
娘が不満を口にすることは喜ばしいこと。彼女も言語化することで、自分のモヤモヤを吐き出し、自分なりの解決に進めることもあるから。必ずしも要求を口に出したからと言って、私に叶えてもらおうという意図ではないこともあります。それをすべて本気で受け取られても、子どもの方も話しづらくなるでしょう。
何かの本で、不登校の子どもとの関りに、選択理論の考え方が有用というのを読み、そういえばそうだなと思いました。
私は10年以上前に渡辺奈津子さんの本を一冊読んだだけですが、読んだ時はかなり影響を受けたことを思い出しました。自分の中で↑のような子どもとの関わり方が良さそうと思ったのはここから来てるのかなと思いました。
また改めて読んでみようと思います。
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