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セクハラの境界線

女として二十数年生きてきて、何度か気持ち悪い体験をすることがあった。

覚えてる中で1番古い記憶は、小学生の時。
児童書が並ぶ本棚にいる私のピッタリ隣に、明らかに大きい中学生ぐらいのお兄さんがずっと付いてくる。
常に私の太ももにその人の手の甲が当たっていて本当に気持ち悪かった。
全く知らないお兄さんだったけど、たぶん隣の中学校の人だろうと思った。
私は絵がうまかったからそのお兄さんの似顔絵を描いて、後日小学校の先生に渡した。
その先生によると、図書館で迷惑行為をしていたそのお兄さんはすぐ誰だか分かったらしく成敗されたそう。


仕事を円滑に進めるための技(災の元?)
この前患者からセクハラを受けた。
抱きしめられて、危うくキスされるところだった。

私は仕事でもプライベートでも、相手が自分の意思で行動できるように意識付けする関わりを心掛けている。
こちらが強制して相手の行動変容を促したところで、相手も気分は乗らないしそんな状態では私の気分も乗ってこない。
お互い気持ちよく関係性を築いていくために、必須だと思っている。

そのため、私はまず相手を知る目的で傾聴を大事にしている。
誰に対してもまず人の話を聞き、相手を理解できるように頭を働かせる。

相手の話を聞いた上で治療上守って欲しいことをどうやったら守り、実行してもらえるかを考え、実際患者に提案していく。
ほとんどの場合は「それだったら頑張れそう」といって頑張ってくれる。そして体調も良くなっていき、頑張りが報われていく。
その過程に深く関わっていくからこそ患者、看護師間の信頼関係を構築していくことができるのだと思う。

しかし、私が大切にしているこの過程が裏目に出てしまうことがある。

相手を知ろう、相手のためにどうしたらいいのかを考えている間に深く入り込んでしまうのか
セクハラ被害にあってしまう。

こういうことがある度に「私は人として、女性として軽んじられているのか」「なぜこうなったのか」と悩むことになる。


セクハラの境界線
私が思うセクハラの発生機序がある。

仮面をつけた状態で相手と接している状態の自分に向けられた好意が度を超えたときに「セクハラ」は生まれる。

つまり、私が本当の自分として相手と関わっている時ではなく
仕事の場面などで、看護師としての自分という仮面を付けている時に向けられた好意がエスカレートした時、仮面が外れ本来の自分の感情になり不快な感情に悩むことになる。

対等な立場からハラスメントが生まれることはない。
自分が弱者の立場にいる時は被害者にならないように気をつけ、
自分が強者の立場にいる時には加害者にならないようにどちらも気をつけなければいけないと思った経験だった。

最近はハラスメントに敏感な社会になったと思うが、それでも社会がいつでも守ってくれるとは思わない。

小学生の時の私の経験のような、全く関係性のない相手から受ける被害と
関係性のある相手から受ける被害はまた少し異なる苦しみがそれぞれにある。

私は自分や相手を守れる強い女性でいたい。

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