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ドッグトレーナーになるまで⑥

念願の訓練士養成学校へ


高校3年生の9月1日。
訓練士養成学校の入学願書受付開始日。
私は、朝10時に学校事務所のドアをノックしていた。

学校の方(のちに分かったのだか学長の奥様)に、『あら~早いわね。あなたが一番よ!』と言われたのを覚えている。
そう!私は何でも早いのだ!やると決めたら早い!

特に何の試験もなく、入学願書を提出しただけで、訓練士養成学校への入学は決まった(誰でも入れたんだね/笑)
晴れて憧れの女訓練士への道を歩み出す事になったのでした。

20数名の入学者。入学してすぐに辞めた子もいた。卒業を前に辞めた子もいた。
けど、私は今までやってきた(やらされた)習い事、アルバイトなどは殆どすぐ辞めてきた。
最速は1日で辞める(牛丼屋さんのバイトね)自分は 根性がない。と思っていたけれど、これだけは続いている。
やらされるのと、自分から望んでやるもの。って、こうも違うのですね。

根性が無かったのではなく、魂が望むものと出会えてなかっただけって事。

*****

2年間の養成学校生活では、1人に2頭。担当犬としてのジャーマンシェパードを貸し与えてもらう。

19歳の私と左トスカ。右ビルケ。

我々1年生の為のシェパードは、他の訓練所などから来ていて様々。
大体が生後半年から1歳未満のシェパードだった。

学校の先生が決めた私の初めての担当犬は、ビルケという名の尾っぽの先が少し曲がっていて背中の毛が少しクセ毛な女の子。

2年目だったかな?それぞれに2頭目の担当犬が決められた。2頭目は黒い毛が目立つ筋肉質で興奮するとキャーキャー叫ぶ女の子、トスカ。

訓練所での訓練方法は・・・


毎日シェパードにまみれて彼らの世話をしながら訓練を学んだ。
当時は、チェーンカラーという犬の首にショックを与えて【イケナイ】を伝える乱暴な方法がメイン。
あとは、ボールに対する欲を利用しての訓練などでした。

当時の乱暴な方法は、一般家庭で飼われている犬には不向きな方法であり、一般の飼い主さんにお伝えするにはハード過ぎる内容でご理解&実践して頂くのも難しいし、私自身も当時の方法は使いたくないと思っています。

実際、乱暴な方法なんて使わない方が、家庭犬の躾はうまくいくので現在では飼い主さんにお伝えしていない方法となっています。

だけど色んな経験が積めた養成学校時代はとても貴重だったと思っています。
通えて良かったし、養成学校卒業と同時に、ビルケを引きとって戸田家の家族として迎えられたご縁にも感謝しています。

つづく・・・


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