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小さい頃、大人は"間違えない"というか、思慮深くて博識な生き物というイメージがあった。自分が幼い頃に見ていた大人たちは悩んでいる姿を子どもには見せなかった気がするから、大人というものがそういう風に私の目に映ってたんだと思う。けれど、自分が年を重ねるにつれて、大人もみんないろいろ迷ったり、悩んだり、反省したりしていることに気づいた。子どもの頃に思っていた大人像は、恐らくこれから年を重ねて18歳、20歳、30歳となっても、年齢というもの自体は実はそんなに関係ないのかなと。私より年齢が若くても、同い年でも、さほど変わらなくても「しっかりしていて大人だな」とか「この歳にして凄い才能お持ちだな」と思う人はいっぱい居る。「自立」とは「大人」とは“自分の正解を持つこと”だと思ってずっと生きてきたし、それをひとつのスローガンとして必死に縋って自分を見失わないようにしてきたけれど、その一方で、自分が正解だと思うことを疑う、人の正解もちゃんと受け入れられる柔軟さを持つことも大切だって気づいてきた。自分が30歳とか40歳ぐらいになった時のことを考えると、どんどん凝り固まってくというか、経験に基づいて「自分の正解はこうだ」ということに固執しだしてしまうんじゃないかと思う。でも、そこで自分とは違う考え方や感じ方の人がいたとしても、その人が今まで歩んできた人生から導き出された正解というものを否定せずに、見下さずに、ちゃんと認め合えるような大人、そういう人間になりたい。年々、自分が今まで経験した「これだ」と思うことが昔よりも鮮明に見えるようになって、偽物かもしれないけど自信のようなものがついてくる。でも、それ以外の考え方を遮断しないようにしないと大きくなれないって肝に銘じて生きていきたい。学校も職場もそうだと思うけれど、社会で生きる時に1人で成り立つことっていうのは絶対にない。必ず人と人、「対・人」で生きざるを得ない。人と何かをやる、共存していかなきゃいけないという意味では、人と向き合う、向き合い続けることというのは、きっといくつになってもすごく大事なこと。こう感じる人がいて、ああ感じる人がいて、そこからまた違うように感じる人がいて、という中でその都度、自分の価値観や感じ方の修正や反省を繰り返して堅苦しく生きてきた。昔の自分の行動は果たして正解だったのかと考えることなんて最早、毎日のルーティン。けれど、その積み重ねで昔よりはましにはなれているのかなと思って、死にたくなっても明日は今まで生きてきた自分とは違う人間に生まれ変わるためにって頑張ってる。私は音楽が大好きだけれど、それこそ歌だったら言葉があって、割と如実に考え方をダイレクトに入れ込める。けれど、多分それは音楽に限らずあらゆる場所で、人間は繋がっているはず。だから、いつか全員と縁を切れるくらい強くなれるように、人間関係を頑張りたい。


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