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私と震災

13年前、私は岩手県の中学一年生でした

私の住んでいる所は、内陸部だったので被害はありませんでした

ですが、3歳から7歳までの育ての親と故郷を、津波で亡くしました

その出来事と苛めが重なり、精神科に通い始める事となり、別室登校も始めることとなります

今思うと、苛めが起きる程学校環境が荒れていたのは、東日本大震災の影響も大きかったのかなと思います

そこで、津波から生き残り、被災地から転校してきた兄弟と出会うことなります

はじめはお喋りから始まり、津波の事や家族の事、勉強を教えたり、色々な事を話しました

それがきっかけで、中学1年生の時に、被災地のボランティアに応募します。

わかめの茎切りという名目でしたが、主にお喋りをしてきました。

被災地の方々の悲しみや怒りや、仮設住宅、瓦礫だらけの土地、それでも強く生きようとする姿を見てきました。

その時から、私には何ができるんだろう。何かしたいと考えるようになります。

父親に相談したところ、10年後、一番必要なのは臨床心理士。

津波被害によるPTSDが予想されているので、心の治療をする人が必要。と、教えて貰いました

そこで、臨床心理士になりたいと強く思うようになります。

その為には、大学院に進んで資格を取る必要がある。

なんとか教室復帰をして内申点を稼ぎ、勉強を1日6時間し、隣街の公立進学校に無事合格。

高校では、合唱部で復興コンサートができたり、塾に通ったり、勉強を頑張ったり、友達ができたり、とても楽しく過ごせました!

ですが、通っていた心療内科で、自分の特性(ASD傾向)が分かり、高校2年生で夢を諦めます。

さらに高校3年生の時に、統合失調症を発祥し、不登校と入院を体験します。

入院先の病院には、被災地の方々が沢山いて、震災とメンタル疾患の関係は切っても切り離せないと確信しました。

それから、副担任と校長の力をお借りして、高校を卒業。

全く希望していた所ではありませんでしたが、大学へ進学できました。

病気の治療の事を考え、上京し、旦那さんと出会ったり、就職や病気の再発や結婚があり、今の主婦生活に至ります

今日、東日本大震災から13年が経ちました。

無力ながら、検索募金と、お小遣いからの募金をしました

私に何かできることは何だろう。

統合失調症を発祥してから、自分が生きることに必死でしたが、3.11になると毎年考えています

今年の答えも、特別な事はしなくてもいいから、その時の事を忘れずに、生きること。そしてたまに地元に帰ること。

私は今、子どもを持ち、児童指導員として働きたいという夢ができました。

今は、その夢のために頑張っていて、生きていて楽しいと思います。

今年の8月に、旦那さんと岩手に帰ります。

皆が幸せに生きれますように。