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『墓参り』の話

母の命日なので、子供を連れて墓参りに行ってきました。
墓には、母の骨しか入っていない。
寺の墓地には親族の墓が他に二つあります。(合計3つ)
私の祖父母に伯母や叔父が入っている墓にも手を合わせてきます。

親が亡くなると悲しい、というのが一般的かと思うのですが、
私はほっとしました。
なにせ10年近く、目を開けることもほとんどなくて、
口もきけずに寝たきりだったので。

施設に入る頃には会話もできず、言葉も理解できず、
自分の名前も家族のこともわからなくなっていましたし。

病院に入る時には食事ができなくて胃婁になってしまいました。
父をぶん殴ってでも胃婁に反対すればよかったと、
何年も後悔していました。父を止められるのは私だけだったのに。
胃婁に反対する私に「母さんを殺す気か!」と父は言いました。
脅し文句ですよね。
それでもひるまずに反対すればよかったのですけど。
胃婁だし、数年かなとおもったら、10年近く生きました。
可哀そうにと思いつつ、
『あなたの夫が決めたのだから仕方ないよね』
目も開けることのない母に心の中で言いました。
私のせいじゃないからね。

私は宗教に興味はないし、生前の母は、
「自分の子供や、かわいい孫を呪ったりする先祖なんているわけない」
と言っていましたし、
墓参りをしないからといって、
娘や孫を呪うようなことはないでしょう。

施設にいる父の代理のつもりで、一応、墓参りをしたのですが、
父本人は、妻が死んだことも忘れてしまっていて、
「死んだのか?」とか、「おかあさんは?」とか、
私に尋ねます。

「立派なお墓を建ててあげて、立派なお葬式をしてあげたじゃない。
お父さんのお友達もみんな来てくれたし、
近所の人も、叔母さんたちもみんな来てくれたし、
にぎやかにできてよかったね」

すぐに忘れてしまうので、毎度同じことを話します。
新鮮な話のネタを用意する必要がないので、
忘れてしまっても、ぜんぜんかまわないんです。
同じ話だけど常に鮮度を保ってくれている。
父にとっては、新しい話なので。

墓参りしながら、『墓仕舞い』が頭をかすめます。
どんだけ金がかかるんだろう、考えると恐ろしい。








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