01 能登半島地震 ボランティア報告 氷見市 令和6年1月25日

画像1 元旦の 能登半島地震ですが、 富山県は石川県ほどでひどい被害ではなかったものの、 能登半島東側の付け根にある氷見市は 富山県内でも被害の大きい方で、道路が歪み、電信柱が傾き、家の屋根瓦が落ちたり、壁が崩れたりの被害があり、しばらく水道がストップしていました。最大震度は5強でした。1月9日からボランティア活動が始まり、主人と息子は破損した家具の片づけや崩れた土蔵の壁の撤去作業をしたそうです。 1月25日は私もはじめて災害ボランティア活動をしましたので報告します。
画像2 まず事前準備としてボランティア登録とボランティア保険の手続きをしておきます。 その後氷見市のボランティアのページから都合の良い日に予約を入れました。 個人の準備品としては汚れてもよい暖かい服装、雨合羽、ヘルメット、ゴム手袋、長靴、セーフティインソール(釘やガラスを踏んでも足を傷つけないため)、防塵マスク(使い捨て)、お弁当、飲料、貼るカイロを用意しました。
画像3 ボランティア当日、自宅から車で1時間ほど走ると氷見市に到着しました。 氷見に近づくほど道路がぼこぼこしていましたが、ところどころ新しいアスファルトで修復した痕跡がありました。 氷見市は藤子不二雄A先生のふるさとで、市内中心部にプロゴルファー猿や忍者ハットリ君、喪黒福造などの像や看板があります。
画像4 ボランティアセンターは まんがロードの近くでした。
画像5 受付を済ませ、ガイダンス、ラジオ体操。 支援を希望する市民からの要望が地図に記入してありました。
画像6 ボランティアと要望のマッチングをしてグループを作りました。 コーディネートをされたのは愛知県から応援に来た方でした。 グループのリーダーが決まると資材置き場から必要な道具を持って作業場所に移動します。 私たちのグループの作業場はボランティアセンター近くの民家でしたので徒歩で移動しました。 遠いところのグループは車で移動し、軽トラックで駆け付けた方は災害ごみの輸送を担当されておりました。
画像7 氷見の街並みは一見すると良く分からないのですが、よく見ると壁が崩れたりブルーシートで屋根を覆った家、傾いた電柱があります。各家々の玄関に家の被害診断を受けて色紙が貼られ、赤は危険、黄色が注意、緑が調査済と識別されます。 個人を特定できる写真をSNSにアップしないため、作業についてはイラストで描きます。私達のミッションは震災にあったお宅の2階から大きな家具を1階に運ぶという内容です。家具は10個ほど。私はタンスの中の衣類を段ボールに入れ、家具を引き渡す係をしました。午前中で作業は終了しました。
画像8 昼休みボランティアセンターに戻りました。温かいお茶やお菓子をいただき、ストーブを囲んで持参したお弁当を食べます。ボランティア作業をされた方と話をしていると 富山県内各地から来た方がほとんどです。活動はタイトではなく、少し余裕をもって計画しているようでした。1ミッションが半日で終われば午後に追加作業はしない。一日仕事だとしても3時半に必ず終了し、4時には解散する。いつも同じ人が参加するのではなく、希望者がまんべんなく回るよう、なるべく大勢の方に無理なくボランティア体験してもらう事を重視しているようでした。
画像9 震災のお陰で、観光業のキャンセルが相次ぎ、経済的にも困っておられると思うので、早く活動が終わった分、氷見市を観光して経済を回していこうと思い、藤子不二雄A先生の展示のある潮風ギャラリーに足を運びました。ここもボランティアセンターから近いところにあります。
画像10 藤子不二雄A先生の直筆原稿や喪黒福造のバー魔の巣の展示などを楽しみました。 残念ながら入館料がメチャクチャ安くて200円でしたので、経済が回るほどの事はできませんでした。受付の方にお尋ねしたところ建物や展示の損害はなかったが、周囲の電柱が傾いたり道路が歪んだと教えていただきました。
画像11 帰りはプロゴルファー猿の豪快なショットを見ながら氷見を後にしました。体力的には無理なくボランティアができたので、自分でもお役に立てるようであれば、また来てお手伝いできたらと思います。

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