見出し画像

色即是空

本日、ふたたび呉服売り場に佇んだわたくし。
【呉服売り場で】 うっかりどちらかで扇子を落としてきてしまったようで、選んでいましたらアテンドに来てくださった。 「いえいえ、もっと地味でいいの、むしろ侘しいくらいの方が」「む、男性用ならあるのですけど|美恩 (note.com)

子どもの頃からめったにモノをなくしたことがないのですが、ななナント、また落としました。ハイ、上記20日にもとめた扇子を。「普通の買いました」なんて言うから、逃げられたんですよ。まったく、我ながらがっかりショボ~ンです。
直近に立ち寄ったレストランに電話したら、「あ、サルシッチャね」と料理名で思い出され、親切にお探しくださいましたが、無し。
その前に立ち寄った動物病院に電話したら、「あ、ナシーム君ですね」と愛猫の名前に言い換えられ、これまた丁寧に確認してくださいましたが、無し。(ちなみにアラビア語のそよ風の意味です。スキしてくださると顔を出します)

目に見えるもの(色)は、目に見えないもの(空)からやってきていて、一緒なんですよ、と諭しているのは仏教ですが、きっとあの扇子はわたくしの傍をいやがって実態を消してしまったのでしょう。量子力学でいうところの、粒が波になったということで、あきらめました。いやむしろ、拾ってくださった方に愛用いただいていればそれでめでたし。

それで

先ほど性懲りもなく新たに探していた次第です。前回とは別の売り場で。
「普段用なので、手ごろな物で十分」「できれば落ち着いた柄を」などとお願いしていたところ、どうしたわけかにわかに
「あの、こちらもご覧いただけたら」と違う場所を勧める控えめな年配の女性。沢山ある品を良く把握していらっしゃるとお見受けしました。
中に、これまたななナント、そもそも最初に失くした扇子の柄に酷似しているものが出てきた!
驚いていると「ああ、ではやはり〇〇さんですね。毎年、京都から時期になると入ってきて、そう沢山は作れないのですけれど」と仰るではないですか。もう何年も前に、銀座松屋で友と一緒に選んだことが思い出されました。まさに、空即是色、出た!現れた!嬉しくてその方にケースも見立てていただいた次第です。

「いや~、楽しいですね。セットになっているわけではなく、自由自在に組み合わせるなんて、それこそ着物の世界の醍醐味ですよね。こんな安いのじゃなくって、もっと色々素敵なのあるのでしょうね~」とつぶやくと、「あ、ちょっとご参考までに観てください、こちらがね、本当に綺麗で」と筆の走った跡のモダンな柄を開いてくださいました。中骨が幅広くとられていて、それはそれは見事。

昔の日本人は、根付や煙草入れや袋物など、日常使いのモノにきめ細やかな個性を持たせていましたね。刀の鍔や、着物の八掛の色の工夫など、意識が行き届いていた証拠です。
襖の引手とか欄間の彫刻、掛け軸の表装などなど、、、考えていくと、古人の丁寧な営みに尊敬と憧れを抱きます。
目まぐるしい現代にあると、どれだけの量の情報を取捨選択できるか、に価値があるように感じてしまいますが、自分はどうあるのか、から出発してモノ・コトを選んでいく姿勢を大切にしたいと思いました。それならば、モノは離れないでしょう。。。
高野山ではよく「結縁」(けちえん)という言葉を耳にしました。自身の身の回りとは、縁が結ばれているからそうであるということです。わたくしは、前回の扇子は取捨選択したものですから、縁は結ばれなかった。

そういえば、昔唯一あつらえた紫陽花の浴衣が、この扇子と同じ色合いであるのを今思い出しました。あの時、帯を複数準備して組み合わせを楽しんだものです。長いことしまいっぱなしなことに気が付きました。あれとも、縁を確認しなければ、です。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?