アニメポケットモンスターOP『1・2・3』歌詞考察メモ
<前置き>
はじめましての方ははじめまして。こめこめくらぶと申します。普段はアニポケを中心にTwitterで妄言を垂れ流しております。今回はじめてnoteを使って記事を投稿したいと思います。理由は単純にTwitterでツリー形式でつぶやくと長くなりすぎてしまうのでまとまった記事で投稿するという形式を試したくなったからです。
2022年に入ってから本格的にtwitterを運用しはじめたのですが、最近いいね&RTで反応をもらえるようになってうれしい限りです。この記事にも何かしら反応いただけたらありがたく存じます。
前置きが長くなりましたが、本記事ではアニメポケットモンスターOPの「1・2・3」の歌詞について考察を簡単にまとめたいと思います。つい先日新OPが公開され盛り上がりましたが、3/16に配信されたということで実は初めてフルでこの曲を聴きました。
『1・2・3』は新無印でリレー形式でずっと流れているOPでAfter the Rain(そらる×まふまふ)、西川くんとキリショー、からあげ姉妹、そしてサトシ&ゴウ(CV:松本梨香&山下大輝)へと歌い継がれてきました。編曲などは一部変わっているものの歌詞としては変わっていません。
この記事では『1・2・3』をサトシ&ゴウが歌う為の歌として用意されたと仮定して、歌詞を分節して自分なりに解釈したいと思います。ただしあくまでメモでありまとまっていないことをご了承ください。
<歌詞解釈メモ>
『1・2・3』
作詞・作曲:まふまふ
編曲:田中秀和
歌:サトシ&ゴウ(CV:松本梨香&山下大輝)
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/nishikawa-kun-kirishow/1-2-3/
[1番]
〇Aメロ(サトシ)
→サトシからゴウへの呼びかけ OR サトシ&ゴウからゲームプレイヤーへのメッセージ
→ポケモンがいる世界への誘い
→「大人」の世界からの離脱
〇Bメロ(ゴウ)
→「めざせポケモンマスター」のオマージュ
→ポケモンたちとの思い出。これまでのシリーズと新無印が地続きなことを暗示している。
〇サビ(サトシ&ゴウ)
→ゴウの信条 「未来は俺の手の中にある」
→どちらかというとゴウ寄り…?
サトシはWCS以外の挑戦要素が薄く、これまで(物語が始まる前に)外の世界に触れてこなかったゴウがはじめてのことに挑戦することを表している?
→アニポケのお約束 「ライバル」のオマージュ?
→サトシの冒険のふりかえり
→ゴウがポケモンゲットによって切り開く世界
→リサーチフェロー、プロジェクト・ミュウなどで広がる知見
→「キミ」…バディであるサトシとゴウがお互いに呼び合っているイメージ(『未来コネクション』などの「キミ」…ポケモンではないイメージ)
[2番]
〇Aメロ(ゴウ)
→視点の転換が発生。サトシ&ゴウがオーディエンス(視聴者あるいはゲームプレイヤー)の視点を仮借する。
→無印からのオーディエンスが置かれている状況。世界は変化し続けるなかそれについていくことができていない大人。
→リサーチフェローとして世界中を飛び回っているサトシ&ゴウとの対比。
→童心を失いつつあるオーディエンスに対する問いかけ
〇Bメロ(ゴウ&サトシ)
→失った童心もサトシ&ゴウの冒険の中で見つけられる。
〇サビ(ゴウ&サトシ)
→オーディエンスが失っていた童心をみつけるための発奮
→サトシ&ゴウがオーディエンスに一緒に行こうよと誘っている。
→「君」…ここではポケモンのことを指すと考える。
→サトシ&ゴウとともにオーディエンスがまだ見ぬポケモンと出会う。
→シリーズが進むごとに成長するサトシ&ゴウ(『キミの冒険』の
「日に焼けた」のような表現)
→アニポケを見続けてきたオーディエンスの成長
→サトシとピカチュウの旅立ち。
→オニスズメに襲われてホウオウに出会った日。
→アニポケ世界が始まった日。
〇Cメロ(サトシ&ゴウ)
→無印からみてきたオーディエンスに対する問いかけ
→無印からずっと「子ども」であるサトシと童心を失いつつあるオーディエンスの対比(≠身体的な成長 ダンデは「子ども」)
→オーディエンスの分身であったレッド=サトシの冒険はアニポケ世界の中でずっと続いており、受け入れてくれる。
〇サビ
→「連れて行く」主体はオーディエンスにある。
→冒険はオーディエンスの意思で行う。
→アニポケのルールの確認。
→オーディエンスが子どもの頃に見ていたアニポケと同じように、未知なる世界=ワクワクが待っている(ナナカマド博士の発言)
→「キミ」…サトシ&ゴウとともに冒険するオーディエンス
<注目すべきポイント>
特に注目すべきは2番以降の視点転換でしょう。1番ではサトシ&ゴウがお互いにかけあっていた歌詞がオーディエンスの視点を仮借したものへと変化します。
ここでのオーディエンスは(おそらく)一義的なターゲットではない無印からアニポケを視聴していたオールドファンを想定していると考えられます。そして想定されているオーディエンス像としては、アニポケを昔見ていたけれどもいつのまにか卒業してしまったが、またアニポケを見ている層が考えられます。オーディエンスはいつの間にか童心を失い「大人」になっていく…。でも失った童心をアニポケを見ることで取り戻せる―というメッセージ(マーケティング戦略)がこめられています。
SMにおいても岡崎体育氏による『ポーズ』『ジャリボーイ・ジャリガール』『キミの冒険』など明らかに大人を意識した歌詞というのは存在していました。しかし、SMの場合は「大人からみたサトシ」を描いていたのに対して、『1・2・3』では「サトシたちから見た大人」が描かれているという点で大きく異なっています。
『1・2・3』は無印から続いてきたアニポケ、そしてアニポケを見続けてきたオーディエンスを再構成する新無印というシリーズの特徴を端的に描写した楽曲だといえるかもしれません。
<仮〆>
本記事では『1・2・3』の歌詞についての考察をごく大雑把にまとめてみました。他のOP・EDとの比較などを進めればより考察の深度は進むかもしれません。自分の中で考えが更新されればこの記事も加筆・修正するかもしれません。初投稿にして長文になってしまいましたが興味をもっていただけたら幸いです。
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