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アニポケ新無印(JN)総評

〇はじめに

136話をもって締めくくられたアニポケ新無印(以下JN※)シリーズ。W主人公、全地方舞台、過去要素…どれをとっても今までにない取り組みをしたといえるでしょう。そこで日が経たないうちに自分なりのJNの総評を語っていきます。なお、今回の総評はストーリー重視なことをご留意ください。

※新無印を「JN」と呼ぶ理由については最後に注釈をいれているので興味がある方はご覧ください。

〇スタッフ等情報

総監督:冨安大貴(第1話 - 第117話)
監督:小平麻紀(第1話 - 第54話)、大和田淳(第55話 - 第117話)、冨安大貴(第118話 - 第136話)
シリーズ構成:米村正二(シリーズコンストラクション)
音楽:林ゆうき
アニメーション制作:OLM

〇世界観・システム

まずはJNを構築する世界観・システムについて振り返っていきます。また各項目の評価のわかりやすい指標として5段階の評価もつけておきます。ただし、あくまで目安として参照ください。

・リサーチフェロー(RF)

概要:JNの目玉要素であるリサーチフェロー(特別研究員、以下RF)。様々な地方に向かい、ポケモンのことについて調査を行う役職。サクラギ博士によって依頼される「仕事」なので渡航費や宿泊費などは研究所持ちらしい。

よかった点は、一話完結のストーリーを作る上ではかなり便利な設定だったということ。RFは即目的地に到着するシステムなので、道中の話もゲストもほとんど関係なくストーリーを展開できます。これによってJN特有の軽やかな雰囲気を演出し、新規視聴者が入りやすくなる役割を果たしていました。

残念な点は、ストーリーの集積が重要となるシリーズ後半になるにつれ機能不全になっていったこと。RFは一つ一つの単発回を量産する上では役立つものの、縦軸のストーリーを紡ぐのに適していません。特に新主人公であるゴウのストーリーについては、中盤からプロジェクト・ミュウにその役割を移行させていきます。

評価:3/5

結果としてRFはJNの目玉要素であったはずなのに、いつのまにかそれぞれの主要ストーリーの密度を薄めてしまうシステムになってしまった印象です。それぞれの回は単発回として描きながらも、ゴウが最後にレポートを書くなどのカットを入れてデータが集積するようなイメージを持たせられたら尚よかったのではないかと思います。

・全地方舞台

概要:RFとの関連が強い世界観としての全地方舞台。RFに限らずサトシのWCSやゴウのプロジェクト・ミュウのストーリーにおいても生かされていたJNならではの設定。

よかった点は、「総集編」を描く素地を作ったこと。JNが総集編なのかどうかというのは実際のところ最後の最後になるまで確証がもてませんでした。しかし、これがサトシ主演の最後のシリーズなのだとすれば全地方舞台の世界観は必須だったと思います。サトシの歩みを一つの世界観で統一するためのハードルをクリアしたのは評価すべき点だと思います。

残念な点は、カントー地方舞台の回が多い and ガラル地方要素が足りてないこと。RFにも関連しますが拠点がクチバシティにあるのが元凶。全地方舞台といいながらもちょっとした小話を描くのに移動する必要性がないため必然的にカントー舞台の話が増えていきます。

その結果JNにおけるメイン世代のはずのガラル地方のポケモンの多くが雑な処理のされ方をし、登場していないポケモンすらいます。新たなポケモンとの出会いを原動力とするならばガラルポケモンをないがしろにしていいはずはありません。

登場していないガラルポケモン一覧(筆者調べ)

また数少ないガラル回でもスタジアムがあるシュートシティに舞台が集中したせいで、ガラルジムリーダーの多くが登場の機会を奪われたことにも言及しなければいけません。特に、ヤロー・ルリナ・カブの序盤ジムリーダーは「ソード・シールド」のプレイヤーにとって特に思い入れが深いはずでありアニメで動くところを見たかった視聴者も多かったはずです。

評価:2/5

総集編の素地として全地方舞台は絶対に必要な要素でした。しかし、現行の世代をないがしろにしていい理由にはなりません。カントーでの日常回のいくつかはガラル舞台にチューニングする必要があったと思います。

・W主人公体制

概要:システムとしてはDP編のヒカリに続くサトシとゴウのW主人公体制。ただし、新無印はDPと比較してもかなりラディカルなシステムを構築していた。以前この話題に絞って語った記事もあるので参照のこと。

よかった点は、見せかけではないW主人公体制を構築したこと、具体的にはゴウに「行先の決定権」をちゃんと渡したことが挙げられます。自分の行きたいところに行きたいように行くのが主人公です。新主人公であるゴウにその権限を与えるのは勇気が必要だったと思いますが、それを最後まで貫きました。

残念な点は、サトシとゴウが同格の主人公として描かれるのに時間がかかりすぎたこと。歴史的な主人公パワーを持つサトシと「行先の決定権」を持つゴウを並べた結果として、「推されるアイドル」と「推すオタク」のコンビができてしまいました。その関係自体は非常に尊いですが、同格の主人公といわれると違和感があります。

最終話(136話)でサトシがゴウの影響を受けたことがわかるシーンが描かれたものの、それまでのサトシとゴウはずっと不等号な関係であり135話ではそれが原因でゴウが爆発してしまいます。この展開は中盤で済ませておくかもしくはもっと下準備をして丁寧に心情描写をする必要があったのではないでしょうか?

評価:4/5

最後の最後でエモーショナルな関係になったので評価は高めですが、JNのポテンシャル的にもっとできたと思うので満点にはなりませんでした。

〇キャラクター描写・ストーリー

JNで様々な地方に赴き、ポケモンと出会って成長したキャラクター達。主要人物に絞ってJNでのキャラ描写・ストーリーについて振り返ります。

・ゴウ

概要:すべてのポケモンをゲットして、ミュウに辿り着く夢を持つ少年ゴウ。「未来は俺の手の中にある」をスローガンにポケモンゲットに励むトレーナー。強気に見えるが実は繊細な性格。

良かった点は、一人のキャラクターをシリーズの軸に据えるスタイルを貫いたこと。インタビューから制作陣もゴウが一般受けしないキャラであることに自覚的だったのは明白です。それでもゴウというキャラの解像度を高めていくことにスタッフ一同余念がなかったことは賞賛すべきです。

個人主義・自己実現・未来志向…、37話「ただいま、はじめましてアローラ!」にてゴウとカキの対比で描こうとしたものが新無印のコンセプトだと考えていますが、アニポケでそんなテーマを描けるのかと驚いたことを鮮明に覚えています。

正直に言えば最初は私も面食らいました。今まで好きだったアニポケから裏切られる…といえば大げさに聞こえますが当時の私は本当にショックだったのです。それでも必死に「自分」を探すゴウを見て最後は応援していました。ゴウに対する感情の変化は時間を要するものでした。

残念な点は、それでもゴウを受け入れられない視聴者を生みだしてしまったこと。制作陣はゴウでなければ描けない話を作りましたが、無視できない数の拒否反応を終盤まで引き起こしてしまいました。これに関してはJNでゴウを描く限り避けられなかったことだと思います。ゴウの持つ繊細さとそれに伴う攻撃性に対する拒否反応は解像度をあげるほど強くなっていきます。

評価:5/5

あくまで個人的な評価なので満点をつけますが、一般的な評価は賛否が分かれるところでしょう。多くの人が見るジャンルで創作をする難しさを考えさせられるキャラでした。

・サトシ

概要:ポケモンバトルで最強を目指す少年・サトシ。JNでは世界最強の座にいるダンデとの対戦を目指してWCSに取り組んでいる。天然だがポケモンにかける情熱は並外れているベテラントレーナー。

良かった点は、サトシが「最強」を目指し「最強」になったこと。実はサトシが最初に建てた目標を達成したのはJNが初のことです。無印~XYはリーグ優勝を掲げながら途中敗退、SMは優勝しますがシリーズの目的がそもそもリーグ優勝ではありません。JNははじめて目的を達成したシリーズであり、敢えていえばキッズアニメとして極めて健全な形だと思います。

残念な点は、これまでのシリーズと比較して人間的な魅力が薄くなっていったこと。以前XY編とSM編を比較した記事でXYサトシは「大人っぽい子ども」、SMサトシは「子どもっぽい大人」と評しましたが、JNサトシは「大人らしくない大人」という評価です。

「大人らしくない大人」というのは、簡単に言えば「天然っぽい大人」ということです。SMまでのサトシはどこかに「子ども」らしさ、具体的にはゴウやコハルが持っているような繊細さ・割り切れなさがありました。しかし、JNのサトシは全体的に図太く、他者の心情に寄り添えてないシーンが多かったように思います。(顕著な例:65話「ドラゴンバトル! サトシVSアイリス!!」)

評価:3/5

このような人物描写はガラルチャンピオンのダンデにも見られ、サトシとダンデを重ねて描こうとした結果だと考えられますが魅力的なキャラ描写とは思えませんでした。

しかし、今後の「目指せ!ポケモンマスター」編においてサトシの人間性について掘り下げがされることを期待してマイナス評価まではつけません。

・コハル

概要:サクラギ博士の娘で、普段は学校に通っているゴウの幼馴染。ポケモン博士の娘というレッテルを貼られるのを嫌い、率先してポケモンと触れ合おうとしなかったが進化しないイーブイと出会ったことでポケモンと向き合うことになる。

よかった点は、ファンタジーなアニポケ世界と現実に近いJN世界を繋ぐ役割を果たしてくれたこと。コハルは父親がポケモン博士であるものの、ポケモンに近づきすぎることなく日常生活を送っています。これまでのシリーズ、特に前作のSMの世界観では絶対に描かれることのないキャラです。「ポケモンと出会う」というテーマに一番近づいたのは実はコハルではないでしょうか?

残念な点は、尺が足りてないのは前提としてメインストーリーの「ブイズ巡り」の完成度が低かったことです。ブイズ巡りに関してはそもそもコンセプトの軸が定まっていなかったような気がします。ブイズのトレーナーに進化したときのエピソードを聞き、ブイズの技を「まねっこ」して問題解決するルーティーンに引き付けられる魅力があったかと言われると…。

評価:2/5

コハルはゴウと比較して柔らかい性格をしている為視聴者にも受け入れられやすく人気なキャラでしたが、キャラ描写としては厳しく評価せざるをえません。「進化」を着地点にするならポケモンが進化する場面にもっと立ち会わせるべきだったと思います。

・ロケット団

概要:アニポケの裏の主人公。ムサシ・コジロウ・ニャース・ソーナンスといつものメンバーに加えて、ロケット・ガチャットの配達員であるペリッパー、食いしん坊のモルペコとともに悪事を企む。

よかった点は、ラジオや動画配信などロケット団らしい若干メタな立ち位置から今までやったことのないことに取り組んでいたこと。「子どもを邪魔する大人」としてデザインされたはずの彼らが「子どもを応援する大人」として描かれていたのは感慨深かったですね。

残念な点…というより悪かった点は、全体的な扱いがこれまでで一番悪かったこと(個人的にBWのシリアスロケット団を超えてます)。出番のなさもそうですが、ロケット団として成し遂げた成果が0だったのは驚きました。

評価:1/5

JNのロケット団はストーリーにおける触媒でしかなく、彼らの為の物語はほとんどありません。新しい仲間であるモルペコとの絆も十分に描けているとは言い難く、非常に残念と言わざるを得ません。ロケット団はJNで最も厳しい評価をつけました。「目指せ!ポケモンマスター」編で名誉挽回することを望みます。

〇その他

・OP/ED

概要:JNのOPはまふまふ氏が作詞・作曲した「1・2・3」を複数の歌手で歌い継いでいく形式。EDはパソコン音楽クラブが作詞・作曲した「ポケモンしりとり」と「バツグンタイプ」の二曲のみで回していた(ココの番宣時期は「ふしぎなふしぎな生きもの」が流れた)。

評価:3/5

一つの曲をリレーで歌い継いでいくという発想は面白いものの、三年の長尺のシリーズでやるには流石に寂しさが勝った印象です。サトシとゴウが歌う歌としては非常にいい曲だと思っています。EDは…、一曲くらい世界観があるものを聞きたかったというワガママな気持ちがあります。

・作画

評価:4/5

常に安定感がありデザインが崩れなかったことを評価しています。特にピカチュウの作画はよかったと思います。ただし、バトル時において動きが感じられないシーンがありアニメーションとして退屈な画があったのも事実です。

〇総括

最後にここまでの総評を踏まえてアニポケJNの総括をします。

<よかった点>
・ゴウを核に個人主義・自己実現・未来志向のコンセプトを建てて最後までそれを貫いた
・サトシの集大成の素地を作った
・ラディカルなW主人公体制に挑戦した

<残念な点>
・新無印≒ゴウを受け入れられない視聴者を生みだした
・コハルのブイズ巡りの完成度が低かった
・ロケット団の扱いが悪かった

評価:4/5

個人的によかった点も残念な点も盛りだくさんなシリーズでしたが、それらは全て製作者のチャレンジによるものだと考えています。創作において最も重要なのはチャレンジ。なので個々の評価は厳しいものの最終的に4/5はつけられる作品だと思っています。

偉そうに何を語ってるんだと思った方もいらっしゃると思いますが、自分にとってJNがどんな作品であったかを明らかにするためにあえて「感想」ではなく「評価」という体をとりました。お楽しみいただけたなら幸いです。ご清聴ありがとうございました。


※新無印を「JN」と呼ぶ理由

私が最近JNという呼称を使っている理由について軽くお話します。
JNというのは「journey」の略で英語圏での新無印シリーズの呼称です。「journey」とは「旅」を意味する名詞であり全世界を飛び回るリサーチフェローのサトシとゴウを言い表していると考えられます。

私が「新無印」から「JN」に呼称を変えたのには二つの理由があります。
一つは単純に「JN」呼びの方がわかりやすいから。新無印というのは無印以来のサブタイトルがないシリーズを差別化するための呼称ですが、2023年四月よりはじまるシリーズにもサブタイトルがありません。(2022/12/17現在の情報)すると後のシリーズを「新無印2」やら「赤青無印」などと呼んで差別化する必要がありますが、それは少し不格好だと思い違う呼称を使おうと考えました。

もう一つの理由は「journey」という語に惹かれたから。「新無印」という呼称にはどこか漂白された寒々しい雰囲気を感じます。無色透明で無個性なシリーズ…のような。しかし、実際には「新無印」には「新無印」としての味や個性があります。そしてそれを「journey(旅)」という語がぴったり言い表してくれている気がするのです。

「無印良品」のように「あえて」それを呼称として使いたいという考えにも共感はできます。これはあくまで自分の中のルールなので誰かに押し付けることはしません。ただし私の文章内では2019~2022放映シリーズは「JN」と呼称しますので以下ご了承ください。

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