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【日記】今になって「スタンド・バイ・ミー」を観た話

〇序文

かねてから気になっていた「スタンド・バイ・ミー」を観た。

なんで気になっていたかというと、シンプルに「ポケットモンスター」の原体験が「スタンド・バイ・ミー」にあるという話を聞いていたから。

「赤・緑」の自分の部屋に映っている映像。
「おとこのこが4にんせんろのうえをあるいてる…」

近年ではBUMP OF CHICKENのPokémon Special Music Video 「GOTCHA!」にも引用されている「あの」映像。

名作という話は聞きつつも、いや、だからこそ腰が重く見てなかったけど、ふと…見てみようかという気になった。上映時間は89分と存外短くサっと観ることができた。ちなみに視聴手段はNetflix。

〇基本情報

原作:スティーブン・キング
監督:ロブ・ライナー
公開日:1986年8月22日米公開、1987年4月18日日本公開
主題歌:主題歌 ベン・E・キング『スタンド・バイ・ミー』

〇登場人物

・ゴーディ…ストーリーテラー。唯一育ちがいい家庭だが、直近に兄デニーを亡くしている。優れた文才を持つ。

・クリス…ガキ大将、悪い家庭の子。

・テディ…メガネ、肝試し好き、戦争好き、父親が屑。

・バーン…太っちょ、馬鹿にされがち、びびり

・ブラワー…汽車に轢かれて死んだ少年

〇感想

映画自体を観るのは完全に初見だけれど、ここまでの名作となると流石にあらすじくらいは耳に入ってくる。4人の少年が「死体」を見つけに冒険をする話…。

なんでわざわざそんなことをするのか、正直理解できなかった。古い映画だし、子どものやることだし、深く考えないようにするしかないかと思っていた…が、実際のところ本人たちもなんでそんなことをするのかなんてわかっていなかったのかもしれない。

ゴーディ:いやでも死体捜しなんて楽しくないよ

ゴーディ(モノローグ):(なぜ死体を見たいのかよくわからなかった。だがたとえ一人でも私は行くつもりだった)

ゴーディ(ナレーション):死体は発見された。だがだれの手柄にもならなかった。結局匿名で警察に電話することにした

本作の語り手であるゴーディは内心でもナレーションでも実際の言葉としてもブラワーの死体捜しに積極的な姿勢を見せていない。それでも付き合ったのは友達同士の「ノリ」ってやつだ。

ゴーディ・クリス・テディ・バーンは12歳、小学校最後の夏。アメリカと日本では進学制度が異なるとも思ったが、12歳が一つの区切りというのは共通しているらしい。

12歳という年齢について一番シビアに考えているのはガキ大将のクリス。彼は家庭環境の悪さから周囲に偏見を持たれている。気丈に振舞っているが実は最も現実に絶望している。「子ども」であることを許されていない子どもだ。

主人公であるゴーディは秀才ではあるけれども、社会の厳しさを知らない「子ども」。兄を失い、父からないがしろにされているが、それでも他の子どもたちより恵まれた環境にいることを理解していない。彼を大人にしてくれたのは親友のクリスだ。

一見ヒステリックなハイテンション野郎のテディは誰よりも危うい。父親に抑圧されながら父親にしか頼れない…倒錯した状況に置かれている。彼もクリス同様「子ども時代は2度と来ない」ことを肌で感じている。

グループの味噌っかすのバーンはある意味一番子どもらしい子どもだ。彼の興味関心は今、この場で友達にどう見られているかということ。受動的なようにみえて実はグループを動かしているような気もする。

バーンの盗み聞きから始まったひと夏の冒険。その冒険自体にきちんとした目的があったかといえばない。大事だったのは「大人」になる前に行動を共にすることにあったんだろう。

〇ポケモンと「スタンド・バイ・ミー」

ポケモンが「ひと夏の冒険」をテーマにしているとして、改めて「スタンド・バイ・ミー」と近い空気感があるかと聞かれると正直ピンとこない。

第一に「ひと夏の冒険」と言ったって、「ポケモン」特に「赤緑」は一人旅という印象が強い。ライバルのグリーン(仮称)が張り合ってきたとしても、べったりくっついてくることはない。

一方「スタンド・バイ・ミー」のテーマは間違いなく「友情」にある。

友よ友よいつもそばにいておくれ

主題歌ベン・E・キング『スタンド・バイ・ミー』

一周回って最新作の「スカーレット・バイオレット」は確かに「スタンド・バイ・ミー」らしい話作りかもしれない。これから大人になる子どもたちのひと夏の「宝物」。

ただ、ここでは一旦「赤緑」の時代まで戻って考えてみたい。実は語り手のゴーディが仲間たちに伝えていないことが一つある。それは「鹿の発見」だ。

ゴーディ(ナレーション):(列車の音で皆は起きた。鹿の事を言いかけたがでもやめた。これだけは私の秘密にして今日まで大事にしまってある)

将来のことについてクリスと語り合った翌朝、ゴーディは草を食む鹿を発見する。死体捜しとは関係ない、森の中であればなんてことない光景のはずだが、ゴーディはこれを秘密にした。

個人的にはこの場面に一番「ポケモン」を感じた。一匹一匹のポケモンとの出会いは極めて個人的なものだ。それはまさしくかけがえがなく、現代風にいえば「シェア」できるものではない。

ポケモン自体は最初から対人交流をコンテンツとして含んでいる。簡単に言えば、ポケモンそのものは交換できる。しかし、ポケモンとの「出会い」は交換できない。だから「赤緑」から現在に至るまでポケモンの「個人情報」が重要なものとして扱われている。

あくまで私の個人的な見方だが、「ポケットモンスター」はこの「鹿の発見」を拡張したゲームではないだろうか。そして先ほども言ったが一周回って「スカーレット・バイオレット」において「スタンド・バイ・ミー」な「ポケットモンスター」が完成した…といえるのかもしれない。

〇結語

さて、気軽にみた映画だったが存外語ってしまった。一番大事なのは「気軽に観る」ことだったかもしれない。

これから観る人も歴史的名作としてではなく「ひと夏の冒険」を想い出す感覚で観るのをお勧めする。
クリスのような友だちが自分にもいたことを想い出しながら…。



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