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【アニポケ雑談】ポケモン中心のストーリー、本当に求められてる?
現行のアニポケHZに対してよく聞く批判意見として、「人間中心でポケモンが描かれていない」というものがある。今日はこれについて考えてみたい。
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まず量的な観点から。なるほど、確かに登場人物が多いのは間違いない。主人公陣営のライジングボルテッカーズ(RV)8人、敵方のエクスプローラーズ(EXP)も現状8人の合計16人登場している。
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これまでのアニポケの歴史で最もレギュラーメンバーが多かったのはSMシリーズだろう。それでも主人公陣営のスクール組+ククイ博士の7人と敵陣営のムサシ・コジロウ・ニャースの3人で10人と考えるとHZは人間の比率が高まっているのは間違いなさそうだ。
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ただ、SMでもHZでもこれだけの人数を一気に同一画面上で動かすということは稀だ。直近のガラルファイヤー編などはフリード・リコ・ロイのユニットが中心になって話を進めていた。主人公のリコロイ+付き添いの大人一人の3人というのがHZの基本的なユニットになりつつある(オリーヴァ編のモリー+リコロイなど)。
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ここまで絞られると実は従来のアニポケの人数比率とそんなに変わらない。お馴染みのサトシ+男性同行者+ヒロインの3人構図だ。昔のアニポケだとこれにムコニャ+ゲストがついてくるのが定番だった。
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それでもレギュラーメンバーが多いという事実は変わらないし、特にHZの場合初回から一気にRV(ドット以外)とEXPのメンバーを顔みせした為、第一印象として「人間が多い」と思っても不思議ではない。
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次に質的な観点から。どちらかといえばこちらが重要視されていると思われる。印象的なのはリコの「私物語のヒロインですか!?」の独白だろう。
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リコの物語の出発点はリコ自身が人としてどう成長するかというところに置かれており、その道の一つとしてセキエイ学園に通うという選択があった。その後にニャオハに出会い、ペンダントを巡ってのトラブルに巻き込まれる…というのが序盤の流れだ。
リコの独白における「物語」は確かに「ポケモン」に限定されないものかもしれない。しかし、この後にリコは身近なポケモンを守るための選択をする。ある意味この独白が分岐点となってリコは「ポケモン」の物語の主人公になったといえる。
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出発点の「ポケモン」の色が薄いためその印象が引きずられている、というのは登場人物の多さの印象とも共通している。ともあれ、ポケモンと関係ないところで話が展開されているというのは少々行き過ぎた批判といえる。
ここまでをまとめると、「人間中心でポケモンが描かれていない」という意見は大枠としてそう見えることに妥当性はある。ただし、実際にストーリーが展開される中で動くキャラの人数は絞られており、リコも早々にポケモンの物語の主人公としてスタートしている。
比重として人>ポケモンになっている面はあるが、ポケモンが関係ないストーリーになっているというのは言い過ぎではないか…というのがこめこめくらぶの見解だ。
そして、ここからが本題なのだがそもそもアニポケにおいてポケモン中心のストーリーは求められているのだろうか。全くエビデンスも根拠もない直観だが、私はかねてからこの世論に懐疑的な思いを抱いている。
私自身にとってはポケモンが中心のストーリーは大好物だ。劇場版の短編ストーリーであったり、SM16話「小さな三匹、大きな冒険!!」やSM71話「シズクモ、スイレンゲットだぜ!」などはMy favoriteと胸を張って言える。
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しかし、歴代のアニポケにおいてこれらの話の比率がトレーナーの話の比率を上回ったことは一度もなく、特別な回として位置づけられている。サトシが全てのポケモンと友達になることを目指した「めざせポケモンマスター」編でさえ、タケシとカスミを仲間に据えて旅をしており、サトシとピカチュウの二人旅は最初(第137話)と最後(第147話)だけだ。
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サトシは確かに「ポケモン馬鹿」だった。何をするにもポケモン優先だったし、彼が主人公だったときのアニポケはポケモン中心に映ったかもしれない。しかし、あくまでサトシは人としてポケモンと友達になろうとしていたし、そうなるように物語は展開した。
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モアニ「ポケモンはポケモン。人は人。それぞれ生きる世界があるからね。あんたのせいじゃないよ」
ポケモンがいる世界で人間がどのように成長するか。実はその方針自体はずっと変わっておらず、ポケモンが人間の位置にとってかわったことはない。違うのは個々人のキャラクターのスタンスや出発、そして微妙な演出の違い。物語においてそのニュアンスの違いが重大な意味を持つことは重々承知した上で、やはり根幹は意識すべきだと考える。
少なくとも過去シリーズを引き合いに出すのであれば、アニポケはずっと「人」を描いてきたし私たちはそれを受容してきた。その点でHZは間違いなくアニポケとしての物語を提供している。それを受け入れられないならば、それは演出などによる印象の違いの問題であり別に論じる必要がある。
最後に、近年本当の意味でポケモン中心のコンテンツが生み出されていることに触れておきたい。代表的なのは「Bidoof’s Big Stand(邦題「ビッパ、キミに決めた!」)だ。詳しい内容については以前記事にしたので省略するが、これはビッパ視点でトレーナーのポケモンとして生きる姿が描かれたアニメーション作品である。
長い時間をかけてポケモンコンテンツが成長していく中で、需要が少しずつ変化していっているのもまた事実だ。それを公式がどう拾い上げるかは神のみぞ知る。私たちができるのは自分自身の需要と世間一般における需要を切り分けて把握しておくことではないだろうか…To Be Continued
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