【雑談】主人公にとっての「補正」の功罪
秋の予感がしなくもない"9月下旬"の雑談🍂
いよいよ大詰めの「テラスタルデビュー」編。恐らく9月中に章を締めくくり、10月11日より新章「レックウザライジング」編が幕を開けるようだ。
新章に向けて期待が膨らむところだが、まずはリコロイドットの「テラスタルデビュー」を見届けなくてはならない。章全体の振り返りはまた後日記事にするとして、今日はもう少し絞った視点として「主人公補正」について考えてみたい。
「テラスタルデビュー」編はリコロイドットがパルデア地方のオレンジアカデミーのバトル学のカリキュラムである「テラスタル研修」を受講するのがメインのシナリオとなっている。
「テラスタル研修」はテラスタルに必要な「テラスタルオーブ」を持つための免許講習のようなもので、これに合格することでテラスタルの使用が公式に認められることとなる。
サトシ編のジム巡りとは異なり必ずしもジムリーダーを倒すことが求められるシステムではないため競技的な要素は控えめに感じられる。その為テラスタル編は「甘い」のではないか?という意見も浮上していた。
しかし、個人的には「テラスタル研修」を含めてHZシリーズは全く「甘くない」世界観だと観ている。むしろ、シビアな生々しさをウリにした物語世界ではないだろうか。
物語の序盤からしてリコが敵対する組織に狙われるところから始まっており、中盤に入るまで安穏な日常回はほとんどなかったと言ってもいい。物語上重要な「六英雄ポケモン」も初心者トレーナーが向き合うには強大すぎる相手だ。
主人公をこれだけ厳しい状況に置く都合上、周囲のサポートは手厚くなっている。特に序章(第一章・第二章)の「リコとロイの旅立ち」「テラパゴスの輝き」においては、フリード&キャップが頼れる大人としての存在感を発揮していた。
フリード以外のライジングボルテッカーズのメンバーも主に生活面においてリコロイを助けていた(ドットはプログラマーとして固有の役割があるので扶養ではない?)。衣食住という観点でみればサトシ達と比べて現代水準の冒険をしているといえるだろう。
「甘くない」世界で無事に冒険できている…ということ自体がリコロイが「主人公」であることの証明かもしれない。
リコとロイが生きる世界がシビアであったとしても彼らが主人公として活躍する為の仕掛けはそこかしこに散らばめられている。所謂「主人公補正」と言われるものだ。
「主人公補正」は所謂俗語であるため、明確な語義があるわけではないがここではピクシブ百科事典の項目を参照する。
極端な例を挙げれば、「死なない主人公」などは分かりやすい主人公補正だ。補正がかかる理由は言うまでもなく主人公が死ねば物語がそこで終わってしまうから。
主人公補正には大きく分けて二つの種類があると考えられる。一つは主人公を特別な存在として扱うための補正。もう一つは物語の都合上越えられないセーフティネットとしての補正。両方に跨るものもあるが便宜的に分けて考えてみよう。
主人公を特別な存在として扱うための補正
特にファンタジー作品の場合、主人公に何かしら特別な属性が付与されることが多い。特別感によって主人公が無作為に選ばれたモブではなく、ただ一つの存在としてオーディエンスに納得させることができる。
リコの場合、祖母ダイアナから託されたペンダントがテラパゴスに覚醒するのは分かりやすい主人公補正となっている。テラパゴスはリコを守る防御壁の役割だけでなく、リコを冒険へと導く羅針盤の役目も担っている。
ペンダントの元々の持ち主であったダイアナの下ではテラパゴスは覚醒せず、リコに渡って初めて覚醒したことにも恐らく意味がある。
なぜリコが選ばれたのか…という具体的な理由については未だに分からないことも多い。ルシアスの血統という理由であれば母ルッカと祖母ダイアナにも当然その資格はあっただろう。ただ、確かなのはテラパゴスは主人公のリコを選んだということだ。
もう一人の主人公であるロイは今のところそのような分かりやすい補正は見受けられない。レックウザとの決着をつけた後に目的地であるラクアに到達する過程で主人公性を発揮するのかもしれないし、あるいはあえて特別な要素なしで主人公として成立させるのかもしれない。
物語の都合上越えられないセーフティネットとしての補正
これは先に例を挙げたところでいうと、「死なない主人公」に該当する補正だ。HZの場合、リコとロイの旅に同行するライジングボルテッカーズの存在がセーフティネットとして機能している。
他にもテラパゴスを敵対組織であるEXP(エクスプローラーズ)に奪われるなどの致命的なアクシデントは今のところ発生していない。ただし、この辺りは展開によっては破られる可能性はある。
個人的には直近の応用テストの不合格→合格判定には「補正」がかかっていると感じた。グルーシャがリコとEXPのバトルを見届け、更には判定を覆すのには物語を進める為の引力が働いていたようにみえる。
リコが自発的に合格判定を貰いにいこうとするのではなく、周囲が"自然に"認めるのが特に「補正」っぽさを感じる部分だ。
少し意地悪な書き方をしたが、これはリコに「逆補正」がかかっていたことの裏返しとも言える。ロイ・ドットがジムリーダーとのバトルに敗れたにもかかわらず合格や再戦の機会を貰っていた中でリコのみが一発不合格…というのは一回リコを凹ませておこうという意図があったからだろう。
物語において主人公は順風満帆な航路を進むわけではない。時には迷い、時には間違い、少しずつゴールへと近づいていく。長期的な目標の為に主人公に圧力を与えるのは古くから使われてきた手法だ。
「補正」にせよ「逆補正」にせよ主人公を引き立たせる物語上の都合によるものであることには変わらない。それ自体は単なる演出技法なので良し悪しはなく、上手く使えるかどうかが問題になる。
「補正」があからさますぎたり、繰り返し同じやり方を続けているとオーディエンスに違和感が生まれたり飽きられたりしてしまう。いい塩梅を探ってバランスをとるのがプロの方々の仕事だ。
個人的な所感を述べると、HZにおいてはリコに強めの「補正」がかかっているようにみえる。先にも述べたようにそれには「逆補正」も含まれている。困難に見舞われながらなんだかんだで周囲に認められる主人公。
一方でロイの「補正」はかなり弱めだ。「テラスタルデビュー」においてはライムにホゲータの才能を見出されてはいるが、ロイ自身の特別感はこれから創出されるのかもしれない。
両者の「補正」のバランスをとるのがもしかしてドットだったり…?現状の描かれ方的には丁度リコとドットの中間の扱いのようにみえる。
出来ることなら三人の「補正」のバランスが平等になってほしいと思いつつこのムラがHZらしさなのかも…と煮え切らない気持ちのまま次週を迎えそうだ。To Be Continued.
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