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損な生き方

『だいすけは本当にいい奴だね』  

学生時代、教師や大人達から言われていたこの言葉。

私は俗に言う優等生だった。 

先生の望み通りに動くいい子 

先生達にとっての都合のいい子  

先生達にとって扱いやすい子 

思えば、小中の修学旅行では

問題のあるとされる子と一緒のグループになっていた。  

いや、先生からお願いされていた。


『河野くん、お願いできる?』 

先生の言ったことには、 

『はい!』 

と答えていた。  


先生も 

『助かる〜!』と嬉しそうに言っていた。 

本当は別の友達と組みたかったのに、、、。


そんなこんなで過ごしてきた学生時代。 

評価は学校の成績と先生からの言葉。 

『彼はとても素晴らしいです。』 

そんな言葉を間に受けて、

私はなんでも出来る子だと、自分で思っていた。  


社会に出てからというと、

心が晴れない日々ががどんなに続くことか。 

自己犠牲の上で成り立つ人間関係 

相手の機嫌を取るために行動する自分 

心が内へ内へと向かっている。 

先生にとってのいい子は、

先生にとっの扱いやすい子 

都合のいい子でしかなかったんだろう。 



そんな私に中学時代、 
『もっと自分の意見を言え』と手紙を書いてくれた、  

若造の兄ちゃん先生がいた。(バスケがめっちゃ上手い三浦春馬を想像してください。何でもできすぎてめっちゃ腹立つ先生だった。)   


彼くらいだろうか。 

教師の中で、 
自分にとって本当に必要な言葉を投げかけてくれたのは。 

大抵の先生達は、この扱いやすい生徒をわざわざ変えようとはしない。

だからこそ、 

『君はいい子だ。このまま育て』  


と教育するだろう。  


まあ、兄ちゃん先生が学校を出るタイミングだったから、こんな手紙を出したのかもしれない。  


しかしその言葉は、 
今でもしっかりと、私の記憶の中にある。  


親友は、バスケ推薦で高校に入ったが、 
先生曰く『人柄推薦』とのこと。 

彼女もまた、私と似たような性格だ。 

今思えば、教師は時に残酷だなと思う。 

社会の現実をしっかり教えたほうがいい。 


先生の言いなりになっている生徒は、良い子ではない。   

先生に対して反抗出来るくらいが、社会を生きていく上ではちょうど良いんだ。  



成長したい、自分を高めたい 
いい人でありたい 
他人に嫌な思いをさせたくない

そう思えば思うほど、周りは匂いを嗅ぎつけ、搾取する。 



こうした思考の枠に囚われている私は、 

いまでもそこをずっと、ぐるぐると回っている。  

前も同じような文章を書いていたのではなかろうか、、、。

真面目と言いなりは違う事くらいわかってる。

私はただ、言いなりだったんだ。 

それでは今苦しむ訳だ。  

『もっと苦しんでる人もいる。環境は恵まれてるほうでしょ』


いや、それでも苦しいものは苦しいのだ。 


心が満たされていないのだ。 


けれどそれを、学校のせいにしても仕方がない。 

しかしここから、 
自分を変革するだけの具体的なビジョンも方法もわからない。 

同じところでループし、 
日々スレスレで生きているような、

何かに縛られて生きているような 

そんな日々。  



と、自分の主観的な思いを書き連ねてみた。    

今日も今日とて、苦しさの昇華活動。

これを見たいつかの私に、 
心境の変化はあっているのだろうか。

とても楽しみである。





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