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いじられキャラは社会では損な気がしてならない。  

私は自他共に認めるいじられキャラだった。 

そう。 
学生まではそんな自分が好きだったし、 
周囲が自分を『いじる』ことで、僕には『愛されている』という実感があった。   

社会に出てからだろうか。
こんなにも、『いじられキャラ』でいることが辛いと感じるようになったのは。

人は集団になると、自然とヒエラルキーを作り出す。

学生までは、皆より『下』に出る事で嫌われることはなかったし、プライドを満たしたい男達からしたら、僕は不動の、そして天性の『愛されキャラ』だった。

だが社会人になると、  
いじられキャラは心底辛い。 

致命的だ。

仕事なんて無理やり押し付けられるし、  

『あいつより仕事ができる』 

こんな対象を作ることにより、人は自分の心を保とうとする。 
もちろん僕もその1人。 

特に仕事に対して不安を抱いている人達からすれば、いじられキャラは格好の餌食なのだ。  


 
私は人から嫌われる人ではない。 
だって人の嫌がることを言わないから。 
相手を気持ち良くさせるために、常に自分を蔑むから。  

習慣によって作られてきた
そうした思考やコミュニケーションの『癖』というものは、なかなか取れるものではない。 

そして僕は、誰かをいじる様な人でも無い。 

つまりは、どん詰まりなのだ。。。 




いや、どん詰まりなのか? 

視野を広げれば、 
見えてくるものもある。  

僕ができること。

まず、 
『他人が何とも言えない程、実力をつける』

まぁこれが出来たら苦労しないし、 
1番遠い様に見えて、1番の近道なのだろう。 

あとは、 
『自分のコミュニケーションや思考の型を徐々に変える』  

『会話やコミュニケーションにおいて自分を自ら下げる様なことを言わない』 

こうした訓練をしていけば、 
徐々に損でない立ち回りもできていくものだろうか。 


あとは、
『自分と相手の仕事の能力を正確に測りとる』 

これも個人的に大事な考えだ。 
例えば相手に舐められた時、  

たとえ舐められたとしても、相手の仕事ぶりが大したことなければ、
『所詮は戯言だ』 

と思える様になるだろう。 

とどのつまり、冒頭の解決策、 
『実力を着実につけていくこと』が一番なのである。  

歩んできた道に裏付けされた自信は、 
裏切ることは無いと思うのだ。   

また、『実力』とは単に、『効率よく仕事ができる』という事ではない。 
集団における立ち回りや会話術、自分の見せ方もトータルしてスキルのうちと言えよう。


よぉし。まだまだあるわよん。  


あとは、『いじられても死ぬことはないし、組織での行き過ぎたイジリは、いじめでありパワハラだ』ということを知っておけば安心感もある。  

どうしようもない時は逃げてもいいしね♪  




がしかしだ。 
正直、社会人になっても、いじられキャラが美味しいと思う時もある。   

『このままの自分でいいんだ』と 
『なんとか変わらなければ』 
が交錯する今日この頃だ。



ちなみに、お決まりフレーズだが、 
『ゲイだから』舐められるは、違うわ。 
色々なゲイに出会ってきて、『オーラのある』『この人は違う』 
と思える人を沢山見てきたから。

『どうせ俺はゲイだから』  

で現実に起こっている問題の本質を直視せず、 
安直に逃げるなよボケうんこちゃん!





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