転職するたびに

大阪⇒ロシア⇒ルーマニア⇒京都⇒エジプト⇒ナイジェリア(現在はここ)と転職をしてきて気づくことは、外国だけ並べ「ロシア(24歳)⇒ルーマニア(26歳)⇒エジプト(34歳)⇒ナイジェリア(37歳)」見返してみると、待遇という面で言えばどんどん下がっていることである。

ではなぜそんな待遇の悪いところに行くのかと聞かれると、「他の人が行かないから」と答える。22歳からこの仕事をしてきて、経験だけで言うと15年を超えるのに大学生の時の1か月のバイト代よりも安い給料でナイジェリアに来る奴は普通いない。しかし、教師がいないのにコースを作って学生を募集するのがナイジェリアである。学生がいるなら誰か教師がいたほうがいいに決まっている。そういう「前向き」とは言い難い動機からこの地に来ることになった。

日々、自分一人の無力さを痛感することばかりであるが、文字どおり「何もない」広大な土地を学生たちと共にどこまで開拓できるのか、自分を試しながら生き切るのも面白そうだとはおもうようになった。「面白くないことはしたくないしできない」という自分の性格をよく理解しているつもりだ。しかし、よく知らない人たちはよく「ガワ」を見て僕のことをご自身の知っているいずれかの枠に嵌めたがる。「ボランティア精神があってアフリカの学生のために頑張っていてすごい!」と言う。「面白そう」という理由だけでナイジェリアに来る37歳(現在39歳)など存在するはずがないとでも言いたいのだろう。よく知らない日本人がふらりとやって来て「こんなに過酷な環境で日本語を学んでいてこのつらい日常を抜け出すために必死で頑張っているんだね」と、時に目に涙をためながら学生に向けて話している。それを英語に訳しながら、学生のピンと来ていない顔を見ることも少なくない。ばーか、てめえらなんかと仕事するか。

これらの文章を見て分かるだろうが、要はひねくれていて基本的に怠け者なので、少しでも自分を必要としてくれるところに流れてきたにすぎないのだ。電気もなく水もない。確かに大変だが大変でないと私は動かないのだ。そんな国で、人として生き切ることが出来れば満足である。

#転職体験記

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