見出し画像

多摩川の生き物とヒト その27 その他  東京都立大 牧野標本館  22/06/24 

京王相模原線南大沢駅近くの都立大にある牧野標本館へ。都立大は例の故石原氏により、勝手に首都大となり、やっと都立大に戻った経過がある。ちなみに、都立大は東横線都立大駅にあると、思われがちだが、ここに引っ越してもうない。隣りの学芸大駅も、降りても学芸大はない。         高知県出身の牧野先生の標本がなぜ、都立大にあるかといえば、牧野博士が東京都へ引っ越したからだ。渋谷などを転々とし、結婚し大泉学園に移り、居を構えた。別に書斎も作った。そこに本や全国から採集した植物の標本を集めて保存した。この標本や書籍のため、この書斎が傾いたのは有名な話である。博士が亡くなった後、標本は都立大に寄贈された。書籍は高知にある記念植物園へ。標本にとって良かったのは都立大へ行ったことだ。都立大は理学部があり、昔から野外教育が盛んで、標本などに理解があるからだ。他の大学へ行ったら、どうなっていたかと思う。                         標本館は細長い大学の奥まった所にあり、ちょっとした部屋の一角にある。日本における植物の特徴(植物フローラ)の説明や絶滅危惧植物のパネルがあった。このパネルの中にカワラノギクもあった。ヤマトグサや今では埼玉県の一部しか生息していないムジナモなどのプロトタイプ(同定の基準となる標本)の標本があり、興味深かった。
                                  

牧野富太郎と南方熊楠 高知と和歌山で奇才が現れた。このような人はもう出てこないだろう。

部屋の中に一時的に置いてあるイスなどがあり、せっかくの展示が台無しである。道の反対側には標本庫もあり、標本が大切にされていることがわかる。(朝日新聞22年8月30日参照)                                来年(23年)には朝ドラマで牧野氏の物語が始まる。牧野博士の一生が波乱万丈でドラマ向きだが、どこまで描けるのかは不安である。

分類の基準は変わっても、標本などの貴重性は不変だ。生物学がDNA中心になったのは残念。

                 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?