赤ちゃんがおもちゃの遊び方を発見するように、ネタを見つける。

最近noteを書くのが楽しい。
その理由として
気ままに文章を書くことが自分には合っているから。
見知らぬ誰かが足を運んでくれて、中にはスキを押してくれる。コメントを残してくれる。
これも楽しい理由の大きな1つ。

他にもまだあります。

たくさんあるのですが、今日はこのことについて。
毎日書くネタを探そうと、小さなことに目を向けるようになったから。

今私は、毎日何を書こうという気持ちでいろんな物事を見ている気がします。
ネタ探しではあるのですが、そう言われるとなんだか荒っぽいイメージになる気がするので避けたいのですが、
日常に転がっている小さな出来事を発見する。宝探しというとえらそうなので、おもちゃ見つけをしている感覚です。

そして、それを小さいままで終わらせるのではなく、ふくらませるイメージで書いています。
よく膨らませるというと「話を盛る」大げさなイメージを受けるかと思いますが、こちらも私としては少し違い、
そのおもちゃの傷を発見するとか新しい動きを見つける、新しい服を着せる…

あれ、膨らませるどころか、視点が小さくなっているな笑

小さなことにフォーカスして虫眼鏡で見るそんなイメージかな。
それか私として見るというよりも、赤ちゃんや犬から見るというイメージに近い気がします。
伝わるでしょうか。笑

昔の私は私としてだけ毎日を生きており
しかもその毎日が面白く無い、なにもないと嘆きながら過ごしていました。

毎日に面白さを見出だせず、もちろん幸せも感じない。楽しみが見つからない。
何のために生きているの?と本気で思っていました。

けれど今こうnoteを書き始めて、違うなと。
毎日が面白くない。幸せじゃない、楽しくない。
そうではなくて、逆にそうとしか考えないようにしていたんじゃないか。
何のために生きているか分からない、そんな私を自分で作り出していたんですよね。

勿体ないな、とも思うけれど
そんな時期があったから今こうやって感じることもできている。
自分に起きた全てのことは血となり肉となり。
そう思うと、昔のどんな経験も割と認められる気がしています。

そんなおもちゃ探しの日々を続けて約1ヶ月経とうとしています。そして感じること。

まだまだ足りない!
目の前におもちゃはたくさんあるけど、まだ見つけられていない、透明なおもちゃばかりな感覚。

もっともっと目を配り、手探りをし、耳をそばだてていく。
そうすることがネタ探しと言われる、毎日に溢れる小さな出来事に目を向ける、に繋がっていくのではないかなと考えます。

まだまだ修行が足りないですね!

もっともっと赤ちゃんの小さな不器用な手で毎日を抱きしめる、そんな風に考えていくようにしたい。

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