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トモ君の葉っぱ

 プールで泳いだのも書いたし、蝉捕りも書いた。
 
 西瓜割りは二回も書いた。川のは本当で海のは嘘。浜辺の色は白にした。

 次は二回目の婆ちゃん家、これは流石にバレちゃうかな? 忘れ物を取りに戻ったことにしようか。

  「馬鹿らな、宅急便があるらろ」

 兄ちゃんが、ムシャムシャと西瓜を噛りながら言う。
 
 「だって、もう書くことがないんだもん」

 「あれは? ほら、泣きながら母ちゃんに歯医者に連れてかれてたじゃん」

 「そんなの恥ずかしくて書けないよ」

 「ならな、いいこと教えてやるよ。ププップ!」

 兄ちゃんの口から噴水のように種が吹き出て、全部卓袱台の上のお皿に乗っかった。

 「日の出アパートに行ってみろよ」

 「日の出アパートって、舞ちゃん家の前の? なんで?」

 「そこに、トモ君が住んでるからだ」

 トモ君とは僕達の従兄弟で、大学に通うため何年か前に、この町に引っ越してきたらしい。僕も、家族で叔母さん家に遊びにいったときに会っているはずなんだけど、どんな人だったかは、あまり覚えていない。

 「俺も一年のとき、絵日記のネタのためにトモ君とこに行ってみたんだよ。あんま期待してなかったけど、行って大正解だったな。よし、証拠見せてやるよ。部屋から取ってくる」

 と、手渡された写真には、カブトムシを掴んで笑っている兄ちゃんと眠そうな顔をした若い男の人が写っていた。

 「へえ、たしかにすごいかも……。ここトモ君の部屋?」

 「そう。舞ちゃんがお昼のお裾分けを持ってきてさ、そのとき記念に撮ってもらったんだ。でも、それだけじゃないんだぜ」

 「え、他に何があったの?」

 「そりゃ、自分で確かめたほうがいいよ。でも最近見ないし、もしかしたら引っ越してるかもよ。あのアパート自体ボロボロだしな。まあ、とりあえず行ってみろよ」

 と言われたので、お昼ご飯のあとに行ってみた。でも、所々ひび割れが出来た二階建てのアパートには、人の住んでいる様子はなく、車や自転車だって一台も停まっていなかった。

 「まいったなあ……本当に引っ越したのかなあ」

 どんどん日射しが強くなってきたので、僕はキャップを深く被り、建物の壁沿いにある腰掛けのひとつに座った。

 ふと、足の先を見ると雑草の隙間から、黄色と黒の細いロープが見えた。それでここが駐車場だということがわかるのだけど、手入れがされていないから、草むらにいるのと変わらない感じだ。きっとあちこちに、いろんな虫が隠れているんだろう。でも、それはそれで日記のネタになるし、予定変更にしようかな。

 そう思って、虫採り網と籠を取りに家に戻ろうとすると、ウォーンという音が聞こえてきた。それは、僕が座っていた腰掛けから出ている音だった。いや、腰掛けだと思っていたのは、葉っぱと蔦に覆われたエアコンの室外機だったのだ。

 ポケットから兄ちゃんにもらったメモを出してみる。そこには『一階の角っこの部屋』と書かれていた。

 「じゃあ、この部屋じゃないか……これが動いてるってことは誰かいるんだ」

 僕は正面に回って、部屋のチャイムを鳴らした。表札は汚れていて、名前もハッキリ読めなかったけど、三番目の文字が“智“という漢字とだけはわかった。

 だんだんと足音が近づいたあと、ゆっくりと開いたドアから顔を出したのは、写真と同じ男の人だった。

 「ふぁあ……えっと、どちらさま」

 トモ君が、欠伸を手で抑えながら言う。

 「こんにちは、お久しぶりです。僕は……えっと」

 なるべく簡単に自己紹介をすると、トモ君は「ああ……叔母さんとこの」と、眠そうな目つきのまま、ポンと手を打った。

 「実は、夏休みで絵日記を書いているんですが、書くことがないのでお邪魔しました」

 「ん……どうゆうこと?」

 「兄ちゃんから、ここにくれば、おもしろいネタがあると聞いたので」

 「兄ちゃん……ああ、そういや前に来たね。まあ……とりあえずどうぞ。おもしろいかはわからないけど」

 部屋に案内されると、トモ君が麦茶を入れて出してくれた。冷房がかかっていなかったので、すぐにコップは空っぽになった。トモ君はと見ると、湯気の出たお茶を涼しそうに飲んでいる。

 「この湯呑み……やっぱ良い柄だなあ」

 「ねえ、暑くないの? 冷房は点けないの? あれ、やっぱり壊れてるの?」

 「いいや、暑くもないし、壊れてもいないよ」

 でも、出窓の右上にあるエアコンには、葉っぱがたくさん茂っていた。理科の先生が、雑草の繁殖力は凄いと言っていた程だから、室外機の蔦が管の中を登ってきてしまったのだろうか。でも、よく見ると葉っぱの形は全然違っていた。

 「あれはね、ヒヤフサの葉だよ」

 「ヒヤフサ?」

 トモ君が、卓袱台の上のリモコンを取りスイッチを押すと、エアコンの吹き出し口から一本の枝が出てきた。そして、その先っぽには、葡萄の房みたいのがぶら下がっていた。

 「あれがヒヤフサだよ。触ってみな」

 そう言ってトモ君は立ち上がると、その"ヒヤフサ”の実のような物を一粒千切り、僕の手のひらに乗せた。

 「うわ、ひゃっこい」

 それはまるで、ジュースに入れる氷の粒みたいな冷たさだった。

 「そう、冷たい房だ。あれはエアコンの果実の集まりで“冷房”と書いてヒヤフサと読む。他の果物と同じで食べられるよ」

 「本当に……?」

 思いきって、パクリと口に入れてみる。すると、実が喉を通った途端に、体全体が冷房の効いた部屋にいるみたいに涼しくなった。

 「す、すげえ! トモ君すごいよこれ!」

 「すごいだろ。しかも八時間設定にしてある実だから、家に帰っても涼しいままだな。どうだい、日記のネタになったかな?」

 「うん! ありがとうトモ君!』


 「さあて、今日は何を書こうかな……そういえばあのカブトムシ、どこで捕まえたの? アパートの裏?」

 「カブトムシ? らんのこほだ?」

 兄ちゃんが、今日も西瓜をムシャムシャと噛りながら言う。

 「トモ君と写ってた写真のだよ。兄ちゃん掴んでたじゃん」

 「ああ、あれはなカブトムシじゃない。カブセムシだよ。ププププププッ!」

 兄ちゃんの口からマシンガンのように種が吹き出て、全部庭の梅の木に命中した。

 「カブセムシ? そんな虫聞いたことないよ」

 「トモ君家に行けばわかるよ。どうせ行くつもりだっただろ」

 「うん。そうだね」

 というわけで、今日もお昼ご飯のあとにお邪魔した。

 「ふぁあ……あれ、また来たの?」

 トモ君が、昨日と同じように欠伸を抑えて僕を迎えてくれた。

 「はい、カブセムシのことを書かせてもらおうと思いまして」

 「カブセムシ……ああ、兄さんから聞いたのか。まあ、どうぞ」

 部屋に上がると、トモ君が麦茶の入ったコップをふたつ、お盆に乗せて持ってきた。

 ふと、エアコンを見ると、吹き出し口からヒヤフサが出ていた。

 「ああ……今日はそれほど涼しくならないな。湿度のせいかな。こんな日は"冷房”の下の表示だね」

 そう言ってトモ君がリモコンのボタンを押すと、ヒヤフサの実は縮んでシワシワになった。

 「これで涼しくなるな」

 トモ君は立ち上がると、実を二粒千切り、ひとつは自分の口に入れて、もうひとつは僕の手のひらに乗せた。

 「これ"ドライ”フルーツだ! ねえ、やっぱり……?」

 「うん。食べられるよ」

 思いきってパクリと口に入れてみる。すると、実が喉を通った途端に、ジメジメした暑さもカラッと吹き飛んだ。

 「すごい! これで外でカブセムシを探すのも楽だね!」

 「外で? いや、あれは家の中で捕まえる虫だよ」

 「ふぇ、家の中で? あんな名前も形もカブトムシみたいな虫だったら、木の幹や葉っぱの陰にいそうなもんじゃない?」

 「葉っぱ……あるだろ」 

 カサカサ……と音が聞こえ、見上げるとエアコンに茂る葉っぱが揺れていた。

 「そうか……あそこにいるんだね!」

 「うん……たぶんね。さてと……」

 僕は顔を動かさず、虫が出てくるのをじっと待った。

 「そう、そうやって目を離さずにいた方がいい」

 トモ君が台所から声をかける。手には平たい鍋が握られていた。たしかママもよく使う雪平鍋というやつだ。

 「あれ、何か作るの?」

 「うん、ちょっと……あ、目を離しちゃったね」

 「あ……」

 慌てて顔を戻すと、もう揺れは止まっていた。

 「奥に隠れちゃったのかなあ……? また出てくるよね」

 「いや、もう出てきてるかもよ」

 「えっ、どうゆうこと……? ああ……なんか甘くていい匂いがしてきた……」

 「涼しくなってきたから、カフェオレを温めてるんだ。大好物でね」

 カサカサ……と音がした。でも、今度はすぐ近くから聞こえてきた。それは卓袱台の上に置いた、僕のキャップが揺れる音だった。

 「ひっ! トモ君これ見て!」

 「ああ、やっぱり。匂いに反応したか……そいつも糖分には目がないからね……あ、また目を離しちゃったよ」

 「え……?」

 ゆっくり顔を戻すと、そこにキャップはなく、代わりに一匹のカブトムシが……いや、これは……。

 「そいつだよ。捕まえてみな」

 「えっ、う、うん……」

 畳の上に置いていた手を動かしたとき、キャップに触ったので掴み、そのままサッと虫に被せた。

 「やった、捕まえた! でも変だな。いつの間に止まってたんだろ。キャップだって下には置かなかったし」

 「うん。そいつは素早いからね。あと、擬態もするから」

 「擬態って……。たしか理科の先生が言ってたな。虫や動物の中には、周りにある物に似せて敵から身を守るのがいるって……。それって、もしかして」

 「そう、卓袱台に止まってからキャップを落とし、本物そっくりに成り済ましたんだ。そいつは帽子だけじゃなく、鍋蓋やブックカバーなど、“かぶせ”る物になら大きさに関わらず何にでも擬態出来る。だからカブセムシと名付けられたんだよ」


 「おーい、起きろよ。いいもんがあるぞー」

 居間から聞こえた兄ちゃんの声で目が覚めた僕は、口元の涎を拭きながら起き上がった。

 家に帰ってから午後のことを日記に書いたあと、寝ちゃったんだっけ。涼しくて気持ちよかったから仕方ない。

 ふと、トモ君から借りた虫籠を見ると、中には何もいなかった。

 「げっ! そうか……蓋をちゃんと閉めてなかったんだ……」

 慌てて部屋のあちこちを探してみたけど、カブセムシはどこにもいなかった。窓も少し開いていたので、ひょっとしたら飛んで逃げちゃったのかも……。

 とりあえず家の周りを探そうと思い、庭へ出ようとすると、居間で兄ちゃんが氷削り器を回していた。

 「あっ、それ届いたんだ! よし、まずは頭をシャキっとさせてからだ」

 僕も兄ちゃんの後に削り器を使い、小鉢にシャリシャリの氷を盛ると、大好きな蜂蜜シロップをタップリとかけた。
 
 「いただきまあす!」
 
 と、シャジで掬おうとしたそのとき、口の中から何かが落ちた。

 見ると、卓袱台の上で仰向けになったカブセムシが、脚をモゾモゾ動かしていた。

 それはたぶん、寝ている間に入り込んだんだろう……。母ちゃんに連れてかれた歯医者の被せ物に擬態していた虫が、シロップの甘い香りに誘われてポトリと落ちたんだ……。


(了)

初稿∶「エアコンの果実」SSG 2020/6/13 
  ∶「カブセムシ」SSG 2020/7/5
第二稿∶「トモ君の部屋」小説家になろう2020/8/26

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