寂しさ

「人なんて複雑な作りを真似ようとするからだ」

その言葉を聞いた時、酷く胸に刺さった事を覚えている。
僕は駄目ですか。複雑じゃなければ駄目ですか。人っていうのは、寂しさに溺れては駄目ですか。
ここまでなんとかやって来ました。じきに子供でいられなくなると分かっていました。だから、どうにか立ち方を学ぼうと必死でいます。圧の変わる水流の中で、どう立てば転ばないかずっと怖がりながら慎重に大胆に挑んできました。
沢山沢山、複雑な考えが膨らんで、色々な気持ちが湧いてきても、押しのけて頑張りました。
寂しい気持ちや疲れた心もどうにか向き合って来ました。自分にとって好ましい自分を生かして来ました。

今までも、これからも、そんな自分を愛したいと思っています。大好きで、見捨てられないから頑張ろうと思います。でも、それは凄く疲れるもので、頑張る為に癒しを求めたいのです。

ただそれが上手くいかない。
励ましの言葉を欲してはいけませんか。だとか思っても、たとえ言葉をもらってもきっと心に響きません。理由は分かっていて、自分のせいだと自覚しています。共感を求めていると分かっています。
 けれど、けれども。自分は好ましい自分以外を外に出すのが苦手で、そんな自分に素直なので、素直な助けてを言えません。素直なつもりなのに、寂しい心は人に伝わることはないのです。でも欲張りなんです。寂しくて辛いのです。
言わなきゃ駄目ですか。心の複雑さを伝えなきゃ助けてもらえませんか。素直さを隠して、同情を求めて寂しさを埋めてはいけませんか。自分にも人にも迷惑をかけたくないし、自分を知られたくはないのです。欲張りだと分かっていますけれど、駄目でしょうか。
駄目ですよね。難しいですよね。だから単純にいようと頑張りました。もっと、些細な幸せで事足りたいと思っていました。
頑張ろうと、死にたくないと生きていこうとしました。

駄目でした。

僕は人ではございません。僕は正真正銘、土と草とコオロギで作られた泥人形です。人の形を真似ただけの命です。
人は確かに複雑でした。模した姿でしたが、僕は人として在りましたので、沢山困りました。
困り過ぎて辛くて寂しくて大変で疲れそうで、でも生きたかった。だから、救われたくて、何か変わりそうなきっかけを探そうとしました。
僕は複雑になり過ぎて、在り方も本来愛したい自分さえ、見失いそうになっていましたから。標識になってくれる人を探しました。

いました。そんな人がいました。向き合おうとしましたし、向き合ってくれました。ただ、人は複雑ですから、僕は人ではありませんから、向き合った結果を得る前に、僕は壊れました。心も身体も複雑になり過ぎました。所詮土と草とコオロギですから、人の心に耐えられなかったのです。手に負えませんでした。
ごめんなさい。出会ってくれたのに、僕は足りないものが多くあったみたいで、一人でしか生きていけないほど、脆かったようです。
人は複雑です。ですから、打ち解けるのは凄く難しくて、自分だけで精一杯で、辛くて、駄目でした。

ああ。人は、複雑でなければ生きていけませんか。
僕は、人ではないですか。それにしては、かなり生きたと思いませんか。
僕はそれに納得できますが、一人ですから、この納得に自信が湧きません。

どうしようもないほど、複雑になり過ぎました。何もかもが寂しいです。

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