どう愛せばよかったのか
何かと拾われてばかりいる。
「疲れたなあ」
その言葉はいつも誰かに伝えるものではなく、口からこぼれ落ちたものだった。
こぼれたものに俺は「そうか疲れたか」とそう返すばかりで、支えになる言葉は何一つと渡せやしなかった。想察する技量もなければ、愛おしむ心の渡し方が分からない。踏み込まず、相手が話す日を待つことにしていた。
「……今日パスタにするつもりだけど」
「へえ。いいじゃん。ポケモンにも?」
「マカロニのが食べやすいと思ってそっち買ってきた」
「アタシもそっちがいい〜〜!」
「……あっそ。分かった」
励ますことが出来なかった。言葉は、安易な行動で相手を幸せにも不幸せにも出来てしまう。それを俺は知っていて、だから何かと苦手で、言葉をもみくちゃにしたくて、けどそうもいかず、羽休めになる場所だけ貸して、思っていることを言葉にしない。そんなことばかりする。
酷く曖昧な人間だ。だからって自分はそんな人間でいいと納得していたし、それ以外に何かできる気がしなかった。安らぎと安定にこだわる臆病者は、曖昧というもみくちゃで判別がつかないものを望んでいた。
……構わな過ぎた、とも思わなくもない。
きっと冷たい人間で、どこまでも曖昧で、微妙なのだ。俺という人間は。愛想を捨てた諦めたがりの酷いやつ。可もなく不可もなくを好むやつ。
半人前の料理人と元恋人の話。
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