風化
ただそれだけの話。
記憶をたどる。幼さに腹が立つだとか、無知さに嘆こうと仕方がないというもの。経験を積まなければ学べない、なんて。不便な話だがそれもまた仕方がない。怒りも悲しみも湧かないのは、それらが理由なのか、風化したのか、幼い記憶の頃にはなかった感情を今更分かろうとしても遅いからなのか。
家族と離れた場所に住むアパートに、びゅーと風が窓から通ってくる。顔を上げれば馴染み深い風景が目に入り、懐かしい気持ちになってしまう。
あれはいつだっただろうか。六歳か?暑さが滲み寄ってくる、春も終えた夏でもない季節。
時折。ここにはもういない友人を思い出す。
彼(彼女だったかもしれない)は怯えて威嚇をする癖に、無邪気で人懐っこい一面を持っていた。一度態度良く接してみれば、すぐに懐いてよく笑い、あとを付いて回ってきた。……ような気がする。心配になる程チョロい奴だった。
まあしかし、外出する度そいつの居る場所へ寄るようになっていたあたり、自分も相当物好きだったのだろう。それなりに興味をもっていたわけだ。
短い時間ではあったが、適当に駄弁ったり。あまりのパンを分けたり。顔の汚れをとってやったりとか。人気が少なくなったレンガ造りの階段に、「きっといるだろう」の気持ちで向かう待ち合わせ。そんな風な、それなりの付き合いを繰り返していた。
ただ、そいつは本当に臆病で負けず嫌いな奴で、よく喧嘩に巻き込まれ負けては腹を立たせる、怪我の絶えない弱い奴だった。
慰めたって伝わらないと分かっていたし、相手の事情なんて自分にはよく分からないから、ずっと少しの距離があいていた。なんとなくを続けて。過ごして。それがまあ、凄く心地良かった。
『終活、してますか?』
そんな言葉がふっと頭によぎる。かなりボヤけた記憶の残骸だが、ニュアンスこそこれであっているような。これはそう、幼馴染がまだ身近にいた時だろうか。
終活か。今が精一杯でそんな事をする余裕はないし、きっとこれからだってそんな余裕はもらえない。……ああでも、今思い返せばその理屈は本当によく分かる。
友人は今ここにいない。
ある日突然見かけなくなった。旅に出たのかもしれない。もしかしたら、死んだのかもしれない。
喧嘩相手から逃げたのかもしれないし、何か考えがあって出て行ったとしたのなら。それに気付けなかったのは……さて。どういう感情をいだこうか。
あの時、誰もいないいつもの場所を、自分はどういう風に見えていたのだろう。
ただわかるのは、友人は今ここにいないこと。
記憶が朧で仕方がない。
別れというのは、突然現れる。
別れがあれば、会えると言う奴もいるのだろうが……。会えるかどうかの不確かさに、後悔の念がぶり返る。
家族や友人を紹介すればよかった。ちょっとした探検をしにいっても良かったかもしれない。もしあの時ポケモントレーナーであれば、バトルをするのも楽しかったのかもしれない。
…それ以上に、無駄な会話をしていたかった。
全ての後悔、やりたい事は彼でなければ埋まることはない。代わりなんて作れはしない。作る気もない。
あの日、そう思うより先に”風化”した。
ゆったりと瞬きをする。
こう考えている事さえ明日には忘れるんだろうな。全部は日常に溶かされる。そのゆるやかな時間の流れを動作で実感する。
記憶というものは限りあるものしか残せない。そればかりか、自分に都合のいい解釈で残す。それが少し悔しい。……ような気もしなくもない。馬鹿らしい。忘れたって言葉を使うのが、屁理屈に思えてこうやってずっと考えている。それがもう嫌だ。全部が変だ。こんな事さえ忘れていく。全部が全部朧げに。
終活なんて知らないが、きっと理屈としては悔いのないよう生きろという事だろう。これはそういう自覚。
悔いなんて、きっとずっとあるんだろうに。
これらをずっと繰り返すんだ。
それにどうこう抗うつもりは毛頭ない。そういうものだって分かっている。知っていなければ、楽しめるものがきっと減る。それは勿体ない。そういう良いこと悪いことが、別段嫌いじゃないんだ。余裕を少しでも持てるようにしておけば、どういう風にでも抱えられる。
なんて、この話に終わりが特別あるわけでもなく。
なんとなく。なんとなくそれらを思い出した。
今更過去の友人を想っても発展はないし、別れにどうこう悩んでも仕方がないし、そういうものって話に終わる。考えたところであんまり意味はない。ぐだぐだぐずぐず物思いにふけたい気分もある。
ただそれだけ。ひたすら色々を連想しただけ。
全ては日常に溶けていく。そんな事もあったわけだ。
さて、今日のご飯は何にしようか。
美味しいのを作らないと怒られるしなあ。
キッチンの方へ足を動かし、冷蔵庫の中身確認した。
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