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大学で講義した

今日は京都大学で講義をした。新入生向けに開講されるILASセミナーというのがあって、その枠で講義した。大学では、どういうわけか院生相手にこれまでしてきたのだが、学部生相手に授業したのは久々で、緊張した。

講義名は、「人新世の「人間の条件」を考える」というもので、概要は下記のとおりである。

2023年の夏はとても暑かった。エアコンなしで過ごすことははたしてできただろうか。また、2020年のコロナウイルスパンデミックにおいては、ステイホームを強いられたのだが、そこでWi-Fiなしで過ごすことははたしてできただろうか。この状況において、人間の生活を条件づけるものとしての環境を、いかなるものと考えたらいいのか。人間の生活が営まれているところとしての環境については、「自然」環境というだけでなく、人工的に構築された状態にある「人工」環境と考えたほうがいいのではないか。だが他方で、人工的な改変が地球のありかたに影響を及ぼし、それが今度は人間の生活の条件そのものを不安定にするという議論がある。私たちはもはや、自然との安定的な関係のなかにあるのではなく、人間のコントロールを超えた、定まることのない惑星的な条件において存在することになっている、という議論である。そのような世界像を提唱した人文系学者の一人が、ディペッシュ・チャクラバルティである。2009年の「歴史の気候」の発表以降、彼はいくつもの論考を発表し、2021年には『惑星時代における歴史の気候』という著作を刊行する。そこで彼は、「人間と自然の境界区分は成り立たない」「人間は、他の諸々の生命体との関わりの中で、惑星において生息する」「気候変動において問われているのは、生存可能性(habitability)の問題である」といった主張を行うのだが、この主張は、2020年代以降の人文社会科学のあり方を定めたものとして、後々評価されることになるだろう。このセミナーでは、チャクラバルティの論文を読み解き、人新世における生存可能性をめぐって考えてみたい。

どれくらい受講生が来るのか心配だったが、わりと来てくれた。文学部、法学部、経済学部、総合人間学部、農学部など、多彩である。よく考えてみると、合格発表からまだ一ヶ月程度で、つまり、受験勉強からの解放後、そんなに時間が経っていない。また、いきなりこんな話を聞かされても、よくわからない人もいるだろう。というわけで、この授業では、自分の経験に照らしていろいろ考えてもらうのがよいかと思うようになった。ただ、話を聞いてみると、ハラリの本を中学のとき読んだとか、高校のとき新書を乱読していたとか、そういう人もいて、わりと普通に理解してくれているようでもある。話を聞いてみてわかったのは、今年大学に入った人たちは中学3年になるやコロナで自宅待機となり、高三の五月になって学校生活がある程度正常化するという経験をしている、ということである。能登半島の地震を経験した人は受講生の中にはいなかったが、そういう人もいるのだろう。

じつは、木曜の3、4にも、大学院生向けの講義をすることになっている。そちらも、京大の院生であればだれでも受講可能なはずである。

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